【あの甲子園球児は今(4)ダース・ローマシュ匡】ダルビッシュに導かれ ゲーム会社とeスポーツ大会運営

[ 2022年8月8日 08:00 ]

2006年8月8日、文星芸大付戦でまさかのサヨナラ負けにマウンドで崩れ落ちる関西2番手のダース・ローマシュ・匡
Photo By スポニチ

 ダルビッシュ2世と呼ばれた男は2年連続で甲子園の魔物の餌食となった。ダース・ローマシュ匡(関西)は2年生だった05年夏、2回戦の京都外大西戦で最大6点のリードを守れず逆転負け。翌06年夏は文星芸大付に最大5点リードしながら8、9回に7失点。10―11のサヨナラ負けを喫した。マウンド付近にうずくまり何度も何度もグラウンドを叩きつけた姿を覚えているファンは多いのではないだろうか。

 「本気で野球をやって、本気で泣いた。人生であんなに本気になったことはない。あんなに泣いたこともない。本気だったから出た涙だと思う。忘れられないですよね、忘れられる訳がない」

 あれから16年――。ダースは“本家”ダルビッシュ有(パドレス)の個人事務所でもあるフェダルマネージメント株式会社に勤務している。ゲーム会社のコナミと連携しeスポーツ大会の企画や運営するのが主な業務だ。

 日本ハムから戦力外通告を受け1年近くはほぼフリーター。手を差し伸べてくれたのが同僚だったダルビッシュだった。金髪を黒髪に染め直しスーツに身を包んだ。ダルビッシュの父・ファルサさんからは気配り、気遣いなど人として大事なことを教わり、社会人として今がある。年に数回渡米し、ダルビッシュ本人とも情報交換を行う。「ダルビッシュさんと直接会って仕事をしてくると自分に自信が付くんです。いい言葉をくれるというか、感性がとにかく凄い。ダルビッシュさんに会うことも僕の大切な仕事の一つです」と話す。

 仕事をするようになってから88年世代でLINEグループを作った。メンバーは200人近くになり、今も増え続けている。「甲子園に出た人も出ていない人もいる。みんな仲間。これは自分が本気になって野球をやってきたからできた財産」。野球を愛する仲間が仲間を呼び輪が広がった。グループを介してまとまる案件も少なくないという。

 甲子園には4度出場した。06年選抜では光星学院の坂本勇人(巨人)に3安打され、早実の斎藤佑樹(元日本ハム)とは引き分け再試合の激闘を繰り広げた。「甲子園がなければ今の自分は絶対にない。20年近くたつのに取材をしてもらえるのもそうだし、ダースの物語を作ってくれたのは甲子園」。瞬間、瞬間は今でも大切な思い出だ。

 もちろん今も高校野球は見ている。この夏出場する選手たちには「負けることを恥じないでほしい。周りは結果を見て言葉をかけてくるけど、大事なのは過程。失敗してもいいと思う。ここまで来るのに凄い挑戦をしてきたんだから。涙はきっと将来に生きる。思いっきりやって大失敗してください。僕なんか2回もやってますから」とエールを送った。

 小3と小1の息子も今年から本格的に野球を始めた。「とにかく挑戦してほしい。(大好きな)ポケモンが進化するのはどういう時?やられそうになっても立ち上がって、バトルで経験積んだ時やろ。だからトライしろと話してます」。戦力外通告を受けた21歳のあの日、ダルビッシュからこう言われた。「プロ野球では勝てやんかったな。でも、次は勝てよ」。33歳。ダースはビジネスマンとして進化、成長しながら充実の日々を送っている。(八田 朝尊)

 ◇ダース・ローマシュ匡(だーす・ローマシュたすく)1988年(昭63)12月15日生まれ、奈良県出身の33歳。関西(岡山)では05年春から4季連続で甲子園に出場。06年春は光星学院戦で9回159球完投勝利もマークした。06年高校生ドラフト4巡目で日本ハムに入団も11年オフに引退。プロ通算2試合0勝1敗、防御率3・68。

続きを表示

この記事のフォト

2022年8月8日のニュース