楽天・聖沢 引退決意のきっかけは球団関係者からの連絡 第二の人生は愛着ある仙台で

[ 2018年12月2日 09:00 ]

決断 ユニホームを脱いだ男たち 2

楽天のファン感謝祭でナインに胴上げされる聖沢
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 10月29日に楽天から戦力外通告を受けてから、聖沢は現役続行か、引退か、悩める日々が続いた。

 「続けたくても、できない人もいる。でも、次に向かった方がいいのか…」。お世話になったOBの中村真人氏(36)や中島俊哉氏(38)ら、たくさんの人から連絡を受けた。時には飲食店で膝をつき合わせ相談に乗ってもらった。「まだ現役でできる」とエールももらう一方で「早く第二の人生をスタートさせた方が良い」という声もあった。09年に結婚した千映(ちあき)夫人からは「やりたいようにしたらいい」と任された。

 ピリオドを打つきっかけは11月上旬に受けた球団関係者からの連絡だった。同23日に行われるファン感謝祭で退団のあいさつをしないか、というものだった。いま一度、今季を振り返る。若手の台頭で出場はプロ11年間で最少の27試合。「1軍で試合に出てもチャンスで打てない。打率も1割台。ファンに喜びを与えることはできないと思った」。ファンの姿を思い浮かべ、ユニホームを脱ぐ決意を固めると、肩の荷が下りた。退団のあいさつは、引退のあいさつに変わった。

 国学院大から07年大学生・社会人ドラフト4巡目で楽天に入団。08年は2月のキャンプから周囲のレベルの高さに圧倒された。後にメジャーで活躍する岩隈や田中がおり「スピードや(球の)切れに対応できなかった」。開幕1軍入りして34試合に出場したが「代走として生きていくしかない」というのが本音だった。それでも、課題を一つずつクリアして主力にのし上がると、12年には盗塁王のタイトルを獲得。第3回WBCの日本代表候補にも入った。13年の巨人との日本シリーズでは全7試合に出場し打率・471で日本一に貢献。第7戦が行われた11月3日は28歳の誕生日。今でも鮮明に覚えている。

 「2000安打のような成績は残せなかった。でも、120%以上の力を出し切った。11年間を振り返ると、自分自身に“よく頑張った”と声を掛けてあげたい」。今後は未定だが、アカデミーコーチとして球団に残る選択肢もある。「仙台で恩返しができる仕事をやっていきたい」。愛着ある杜の都で第二の人生のスタートを切る。 (黒野 有仁)

 ◆聖沢 諒(ひじりさわ・りょう)1985年(昭60)11月3日生まれ、長野県出身の33歳。国学院大から07年大学生・社会人ドラフト4巡目で楽天入団。1年目の08年3月20日のソフトバンク戦に中堅の守備固めでプロ初出場。1メートル79、72キロ。右投げ左打ち。

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