内田雅也が行く 猛虎の地<2>奈良少年刑務所(旧奈良監獄)

[ 2018年12月2日 10:00 ]

赤れんがも、若林の心も永遠

美しい赤れんが造りの奈良少年刑務所表門。最後の一般公開となった11月25日、秋晴れの好天だった
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 奈良少年刑務所(旧奈良監獄)が改修前最後の公開と聞き、11月25日、足を運んだ。明治の「五大監獄」で唯一全体が現存する国の重要文化財。老朽化から昨年3月に閉鎖となった。2021年春、史料館やホテルなど複合施設で開業となる。

 2009年に初めて取材で出向いてから5度目の訪問だった。いつも静かだった所内が多くの一般客でにぎわっていた。

 思い入れの深い場所である。阪神草創期からの投手で監督も務めた若林忠志の生涯を追った『若林忠志が見た夢』を09年に連載した。大幅加筆のうえ11年には同名で書籍化、第1章にあてたのが奈良少年刑務所だった。

 1949(昭和24)年12月14日、阪神監督兼投手の若林は巨人との帯同遠征(オープン戦)の合間に同所を慰問に訪れた。「スポーツ精神で更生してください」と自費で作成し「若林賞」と刻印した盾を贈った。収容者代表から「優勝盾は永く当所に残して、お志を次々と伝えていきたい」と感謝文が渡された。

 同所では翌50年から毎年、若林賞争奪の所内野球(後にソフトボール)大会を開催してきた。実習場対抗で収容者自らが選手を選び、外れた者は連日応援練習を行った。

 決勝戦を見た。高さ5メートル以上の塀が右翼フェンスだった。優勝決定に選手が応援席に駆ける光景を刑務官は「忘れていた心を呼び覚ます」とみていた。優勝チームの収容者は「負けたチームも含め仲間で協力できたことが良かった」と話した。野球の美点、若林の精神が引き継がれていた。

 若林はプロ野球選手が行う社会貢献活動の先がけ的存在だった。ハワイで生まれ育ち、慈善活動に熱心な米大リーガーの姿勢を知っていた。

 戦後、各地の施設を周り、オフに家にいることはなかった。5人いる息子や娘には「全国には親のない子が大勢いる。おまえたちにはいるじゃないか」が決まり文句。父親代わりとなって青少年育成に心血を注いだ。自費でタイガース子供の会も設立している。

 阪神は11年にその姿勢を再評価し若林忠志賞を創設。「継続的に社会貢献やファンサービスに取り組む選手」を毎年表彰、今年第8回を数えた。

 若林は同所訪問の2週間後、2リーグ制の夢を抱き、新球団・毎日に移籍していった。「阪神・若林」と刻印された、あの優勝盾は阪神への心の置き土産でもあった。

 廃庁が決まり、大会は一昨年が最後の開催だった。盾は長男・若林忠雄(83=米国在住)に返還された。今回訪ねた所内運動場には雑草が生えていたが、美しい赤れんがの建物は昔のままだった。若林が示した心もあの感謝文の通り、永久である。=敬称略=(編集委員)

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