“怪童”中西太氏 レジェンド始球式 球児時代振り返る「甲子園に出るのが命がけ」

[ 2018年8月18日 08:06 ]

<浦和学院・大阪桐蔭>始球式を行う中西太氏(撮影・近藤 大暉)
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 第100回全国高校野球選手権大会第14日は18日、甲子園球場で準々決勝4試合が行われ、第1試合の大阪桐蔭(北大阪)―浦和学院(南埼玉)の試合前、高松一OBの中西太氏(85)が「レジェンド始球式」に登板した。

 マウンド上で笑顔を浮かべた中西氏。投じたボールはノーバウンドながらもストライクならず、悔しげに自らの投球フォームを確認する姿も見られた。「お役目を果たせて、ホッとしました。これでお世話になった野球界に最後(の役目ができた)だと思います」としみじみ。「(始球式ノーバンに)練習では真っ直ぐ行かんかったけど。阪神(監督)時代は毎日2時間プレートから投げていたからね」と振り返った。

 最近の高校野球について「この頃に選手はノビノビしている。年々投手も良くなっている。今の時代やったら私は打てないだろうね。せいぜいドラックバント」と謙そんし、「あの当時は野球で飯食えるなんて考えてなかった。甲子園に出るのが命がけ」と自らの球児時代を懐かしげに振り返った。

 また、「100回大会は素晴らしい大会。失敗を恐れず思い切りやって下さい。体力はホレボレするし。プロのショートよりうまい守備する選手もいるしね」と球児たちにエール。さらに「ただムダ(危険な)スライディングは控えてほしい。それと捕球は“クイック&シュア”で正確に正面で捕って踏ん張って素早く投げる。我々は長所を生かすのが仕事ですから」とアドバイスも忘れなかった。

 “怪童”と呼ばれた中西氏は高松一(香川)時代、3度甲子園の土を踏んだ。1949年センバツでは準々決勝で小倉(福岡)に敗れた。その年の夏は北四国代表として出場。準々決勝で優勝した湘南(神奈川)に敗れた。51年夏は準決勝で優勝した平安(京都)に4−3で負けた。中西氏はこの大会で2試合連続でランニングホームランをマークして注目された。52年に西鉄(現西武)に入団。4年後、稲尾和久氏が入団すると投打の中心として「西鉄黄金時代」を築き上げた。56年から3年連続で水原茂監督率いる巨人を破って日本一に輝いた。69年引退。その後、多くの球団で監督、コーチを経験している。

 100回大会を記念して行われる「甲子園レジェンド始球式」には、初日の松井秀喜氏(44)を皮切りに夏の甲子園で活躍した18人のレジェンドが毎日登場。20日の準決勝ではPL学園(大阪)で夏2度の優勝を果たした桑田真澄氏(50)と、日米球界で活躍した「大魔神」佐々木主浩氏(50=宮城・東北出身)が登板する。決勝戦では、1969年夏の決勝戦で、延長18回引き分け再試合の死闘を演じた三沢(青森)の太田幸司氏(66)と松山商(愛媛)の井上明氏(67)がダブル登板する。

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