日本文理前監督・大井道夫氏 下関国際 「俺たちはやれる」が最大の勝因

[ 2018年8月18日 09:00 ]

第100回全国高校野球選手権記念大会第13日3回戦   下関国際4―1木更津総合 ( 2018年8月17日    甲子園 )

日本文理監督時代の大井道夫氏
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 【名将かく語りき〜歴史を彩った勝負師たち〜第13日】前監督で日本文理(新潟)を春夏計14度、甲子園に導いた大井道夫氏(76)は、下関国際―木更津総合戦を観戦しながら、甲子園が生み出す力を感じていた。2試合連続逆転勝ちで3回戦に進出した下関国際が勢いそのままに4―1で快勝した。その快進撃は、09年夏に準優勝した日本文理の戦いを名将に思い起こさせた。

 甲子園では、一戦一戦勝ち上がるごとに信じられないような力を発揮していくチームがある。下関国際はその典型だと思う。

 失礼ながら実力は木更津総合が上だと見ていたが、結果は4―1の快勝。下関国際は1回戦、2回戦ともに終盤の逆転で勝って自信をつけている。本来持っている力が「10」だとしたら「12」にも、「15」にもなってきている。

 エースの鶴田君は制球も良かったし、確かに良いボールを投げていた。ただ技術よりも精神的に自信を持って投げていたことが大きかった。だから3回に本塁打で1点差に詰め寄られた時にも全く動揺しなかったし、テンポが崩れなかった。

 一方の木更津総合はエースの野尻君が登板しなかった。高校野球ではエースが投げるとチームが安心する。逆にエースが投げないと乗り切れないものだ。野尻君が投げていれば違う展開になったかもしれない。敗因の一つになったと思う。

 下関国際で最も驚かされたのは終盤の守備だ。8回、先頭打者が放った三遊間のゴロを遊撃手の甲山君がさばいて、2死満塁では二塁手の浜松君がハーフバウンドのゴロを好捕して無失点で切り抜けた。どちらもファンブルしてもおかしくない難しい打球だった。自信があるからこそ重要な場面で難度の高いプレーができるのだ。

 09年夏の甲子園で準優勝した日本文理も一戦一戦、力をつけていった。初戦(2回戦)で藤井学園寒川(香川)に4―3で逆転勝ちして「俺たちもやれる」という自信が生まれた。

 3回戦は日本航空石川(石川)に12―5、準々決勝は立正大淞南(島根)に11―3と打ち勝った。練習ではやっと外野まで飛ばすような子が外野の間を抜く打球を打つから監督の私が一番驚いていた。甲子園という舞台がそうさせるんだろうなと感じていた。

 決勝では中京大中京(愛知)と対戦し、4―10で9回を迎えた。最後の攻撃前、選手たちには「このまま終わるのは癪(しゃく)だろう。お前たちも意地見せてみろよ」としか言わなかった。そこまで目いっぱい頑張ってきたことを分かっていたからだ。

 力の差は大きかった。閉会式後に行進する姿を見ていて、堂林翔太ら中京大中京との体格差にがく然とした。大学生と高校生かと思ったほどで体力差もかなりあったはずだ。それなのに選手たちは諦めなかった。

 2死走者なしから3四死球と4安打で5点を返して、1点差まで詰め寄った。9―10で敗れたとはいえ本当によくやった。あの粘りがチームの成長の証だ。点差が離れても自分たちはやれるという気持ちで持っている力の2倍の力を出して全員が戦った。私の長い監督人生の中でも、あれほど驚かされたことは後にも先にもない。

 下関国際ナインにも「俺たちはやれる」という気持ちが芽生えてきている。それが最大の勝因だ。甲子園に力をもらったチーム。連戦になるため鶴田君の体力が心配だが、準々決勝も楽しみだ。 (前日本文理監督)

 ◆大井 道夫(おおい・みちお)1941年(昭16)9月30日生まれ、栃木県宇都宮市出身の76歳。宇都宮工時代は甲子園に春夏1度ずつ出場し、59年夏には左腕エースとして準優勝。卒業後は早大、社会人野球の丸井でプレー。宇都宮工コーチなどを経て86年から日本文理監督。春5回、夏9回甲子園に出場し、通算12勝14敗。09年夏準優勝、14年夏4強。昨夏限りで退任し、現在は総監督。

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