高校通算本塁打0本から世界一へ フルスイングを貫いた男・小笠原道大

[ 2015年9月19日 09:00 ]

今季限りで引退する小笠原

 9月半ばに入り、ベテラン選手の去就が大いに注目を集めている。中でも中日は選手兼任監督でもある谷繁元信、和田一浩、小笠原道大と3人の大物選手が引退を決意した。

 小笠原は史上2人目となるセ・パ両リーグでMVPを獲得し、打撃タイトルも複数獲得、ベストナインも幾度も受賞と数字面での功績はもちろん、代名詞のフルスイングや、侍のようなたたずまいは「昭和」の雰囲気を醸し出し、幅広い年齢層から人気がある選手だ。高校、社会人と無名の存在ながら、バット一本で球界を代表するプレーヤーとなった小笠原のプロ生活を改めて振り返りたい。

◎高校時代の通算本塁打はゼロ!?

 暁星国際高では捕手を務めており、2年夏に千葉大会準優勝を果たす。しかし当時は無名の存在であり、高校時代の通算本塁打は0本と、その後の活躍を考えると信じがたい成績を残していた。

 高校卒業後は社会人野球の強豪・NTT関東に入社。入社5年目の1996年には、新日鉄君津(現新日鐵住金かずさマジック)の補強選手として都市対抗に出場。この時、新日鉄君津で4番を打っていたのが松中信彦(現ソフトバンク)だった。この10年後、小笠原と松中は再び同じユニフォームに袖を通して、WBCを戦うことになる。その都市対抗ではベスト8入りに貢献し、同年秋のドラフト会議で日本ハムからドラフト3位で指名を受ける。

◎代名詞が生まれるきっかけ

 小笠原は足が速かったこともあり、プロ入り当初は「捕手だけでなく、内野も守れるユーティリティープレーヤー」という評価だった。それでも1年目は捕手での出場をメインに、1軍で44試合に出場する。

 そのプロ1年目に大きなターニングポイントがあった。それは、当時日本ハムの打撃コーチを務めていた加藤英司との出会いだった。加藤は社会人とプロとの違いに悩んでいた小笠原を励まし、「とにかく最後まで振り抜こう」とフルスイングを叩き込んだ。この時の指導が「小笠原道大のバッティング」の土台となっていったことは言うまでもない。1998年は71試合の出場で打率.320と結果を残し、翌年のブレークへとつながっていく。

 プロ3年目となった1999年、開幕戦に「2番・一塁手」でスタメンを勝ち取る。西武・松坂大輔のデビュー戦となった4月7日の試合では、6回にノーヒットノーランを打ち砕くセンター前ヒット、8回に2ラン、と大物ルーキー以上に自分が輝こうとする打棒を発揮。25本塁打を放ち「バントをしない2番打者」として一躍注目を浴び、確固たるレギュラーを獲得した。

◎パ・リーグ、そして球界を代表する選手へ

 さらに2000年は、初タイトルとなる最多安打を獲得。2002年、2003年と、2年連続で首位打者に輝くなど、パ・リーグを代表する打者へと進化を遂げる。

 2004年に日本ハムは東京から北海道へ本拠地を移転。小笠原はこの年に加入した新庄剛志とともに、チームリーダー的存在となり、チームをけん引していった。同年夏にはアテネ五輪の日本代表に選出され、7番を打ち、全試合にスタメン出場。

 さらに2006年に開催されたWBCでも代表入りし、キューバとの決勝戦では3打点を挙げて、世界一に貢献。ペナントレースでも好調は続き、32本塁打、100打点とリーグ二冠王に。チームも44年ぶりの日本一となり、小笠原はリーグMVPを受賞した。

◎巨人へ移籍し両リーグMVP、2000安打達成

 日本一に輝いた直後にFA宣言をして巨人へ移籍する。トレードマークのヒゲを剃り落とした小笠原は主に3番を務め、打率.313、31本塁打、88打点と結果を残して、5年ぶりのリーグ優勝に貢献。2年連続のMVPを受賞し、これは江夏豊以来2人目となる両リーグMVPという稀な大記録を達成する。

 2008年はヤクルトから加入したラミレスと3、4番コンビを形成。シーズン終盤に調子が上向き、逆転リーグ優勝の原動力となる。翌2009年のWBCでも日本代表に選ばれ、主に5番として連覇に貢献。レギュラーシーズンでも移籍後初めて「3割、30本、100打点」をマークした。

 そして2011年5月5日の阪神戦で通算2000安打を達成。しかし、その後は相次ぐケガや、この年から導入された統一球に苦しむことに。83試合の出場に終わり、規定打席に到達できなかった。さらに2012年、2013年と打撃不振に陥り、出場機会が一気に減少。FA宣言という形で、巨人を離れることになり、中日に活躍の場を求めた。

 移籍1年目、代打という役割を担うと、球団タイ記録となる代打6打数連続安打を成し遂げるなど、81試合で打率.301と新境地を開いた。

 今季も代打として打率3割以上の結果を残していたが、7月上旬に2軍に降格。7月下旬に一度昇格するものの、1カ月以上安打が出なかったこともあり、3日後に再降格を告げられてしまった。引退報道が出る直前に1軍復帰し、9月12日のヤクルト戦では小川泰弘から勝ち越し打を放つ。ヒーローインタビューにも呼ばれる活躍で、健在ぶりをアピールしていた矢先に引退が発表された。

 しかし、引退会見での言葉の通り、まだ試合は残っている。最後の最後まで小笠原のフルスイングを目に焼き付けていきたい。(『週刊野球太郎』編集部)

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