原巨人が連覇!ミスター超え6度目リーグV「目的は日本一連覇」

[ 2013年9月23日 06:00 ]

<巨・広>祝勝会で菅野(右)にビールをかけられる原監督

セ・リーグ 巨人2-1広島

(9月22日 東京D)
 マジック1としていた巨人が22日、2年連続35度目のセ・リーグ制覇を果たした。デーゲームで2位・阪神がヤクルトに敗れ、ナイターでの広島戦の結果を待たずに優勝を決めた。試合も勝った原辰徳監督(55)は現役、コーチ時代の恩師である長嶋茂雄元監督(77=終身名誉監督)を超える自身6度目のリーグVを達成。40年ぶりの日本一連覇に向け、最初の関門を突破した。巨人は10月16日から始まるクライマックスシリーズ(CS)ファイナルステージで、ファーストステージの勝者と日本シリーズ出場権を懸けて戦う。

 抑え気味の笑みをたたえた原監督は、頼もしいナインの手に身を委ねた。優勝が決まったのは3時間ほど前。待ちわびた4万6246人から大歓声が降り注く中で、東京ドームの天井が8度、近づいた。昨年のリーグ制覇と同じく、現役時代の背番号と同じ数字だ。

 「ペナントレースで勝つのは険しい道のりだし、長いし、一番、難しいタイトル。全員がチームの勝利のために、自己犠牲を持って戦ってくれました。見事な選手たちだと思います」

 優勝決定の瞬間は午後6時3分。その3分後、初回表が終了し、オーロラビジョンに阪神戦の結果が報じられた。一塁ベンチでポンポンと2度、手を叩いた指揮官。「タイガースが優勝したのはゲームが始まってすぐ分かったけど、なかなかリラックスして戦うことはできなかった」。阪神が優勝…。試合後のインタビューでは言い間違えるほど興奮していた。優勝した日に勝ちたい。この日1軍に上げた捕手の加藤をすぐに先発させ、おいである菅野が8回1失点の好投。特別な日に白星をプレゼントされた。

 03年、10年。V9時代以来の日本一連覇を目指したが、成し遂げられなかった。3度目の挑戦。キャンプイン前日の1月31日、選手を前に「日本一連覇を意識して戦っていこう」と宣言した。球団タイ記録の開幕7連勝でスタート。だが、シーズン中盤まで勝負どころで得点できないケースも目立った。「戦い方が淡泊であったり、力がありながら、ここ一本が出ない」。だから阿部、村田、メジャー通算92本塁打の新外国人ロペスであろうと犠打のサインを出した。この試合でも7回にロペスに送りバントを命じた。「優勝が決まっているとはいえ、戦う姿勢は変えるべきではない」とスタイルを貫いた。ラストスパートに入った8月24日DeNA戦(横浜)からは3番・阿部、4番・村田の新打線。正捕手、主将も担う4番に頼ったままでは強くならない。「まだ進化できる」。さらなる挑戦だった。

 東京ドームの監督室。「誰がいつでも入ってきてもいいように」と扉は数センチ開いている。昨年までは選手を呼び出し、苦言を呈すことがあった。優勝3日前。「今年は誰も呼ぶことがなかったな」とうれしそうに漏らしたのは、逆の出来事があったからだ。8月2日阪神戦の試合前。抑えの西村がドアを叩いた。3連投中で出された休養指令に「きょうも投げます」と直訴された。その気迫に圧倒された。主張する選手が出始めたことに「成長したのかもしれないね」と目を細めた。

 6度目のリーグVで長嶋元監督を上回った。プロ入り前から憧れたミスタージャイアンツ。巨人の4番、監督と同じ道を歩み、ついに追い越した。「全くもったいない話。自分ではよく分かりません。戦いが終わって振り返った時点で、少々、自分の数字に対して褒めてあげられるのかな、と」。こみ上げる感激は今は抑え込んだ。

 リーグ連覇でも、まだやることがある。「まだ戦い半ば」。試合後のインタビュー、会見を通じてその言葉を6度も使った。「目的は日本一連覇。このスタンスに変わりはない。次の山はクライマックス。それを越えると、また大きな山がくる。さらに強いチームを目指してやっていきたい」。そう言った時だけ、口元が引き締まった。

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