オリックスへのトレード通告「断りたい」 元猛虎右腕の意向に親身になってくれた岡田さんに感謝

[ 2023年3月1日 07:00 ]

猛虎の血―タテジマ戦士のその後―野田浩司氏

91年、中日戦で完投勝利を挙げ、岡田(左)に祝福される野田
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 あの日、岡田彰布(65=現阪神監督)とともに過ごした時間を野田浩司(55)は忘れていない。ドラフト1位で入団した阪神から突然受けた92年オフのトレード通告。悩む右腕の相談相手になったのが岡田だった。置かれた状況を冷静に分析し、進むべき道を示されたことが、1試合19奪三振などオリックスでの活躍につながった。中嶋聡(53=現オリックス監督)ともバッテリーを組んだ野田は、日本シリーズでの関西対決実現を願っている。

 突然の通告に、頭の中は真っ白になった。1992年12月21日。兵庫・芦屋のホテル竹園に呼び出されたプロ5年目の野田は、三好一彦球団社長からオリックスとのトレードを申し渡された。

 「ドラフト1位で入って、頑張ってくれた。ここまで投手陣を支えてくれて本当にしのびないんだが、トレードが今回決まった。あとは君の返事次第だ」と相手はオリックスの主軸・松永浩美(62)だと告げられた。

 充実のオフを過ごしていた。この年の阪神は新庄剛志(51=現日本ハム監督)、亀山努(53)が大ブレーク。新しい力が台頭し、ヤクルトとの激しい優勝争いを展開した。シーズン前半は故障などで戦列を離れていた野田も8勝でチームの2位に貢献。オフのスケジュールも多忙だった。

 球団から連絡があったのはそんな時だった。オーバーホールを兼ねて、夫人と兵庫県内の温泉に数日出かけていた。まだ携帯電話がない時代。帰ってくると、留守電に何本もの着信が入っていた。連絡すると「すぐに時間を取ってくれ」と言われた。相手も最初は中村勝広監督と言われたが、球団社長に変わった。嫌な予感がした。夫人もホテル竹園まで一緒に行き、駐車場で待っていた。

 「本当にショックでしたね。通告は30分ほどだったけど、長く感じた。嫁さんにどうするの、と聞かれて、断るよ、と言ったのは覚えている」

 自宅に戻り、両親や世話になっている人に連絡をした。みんな憤っていた。中村監督からは「申し訳ない」という電話もあった。落ち着かない。家が近く、家族ぐるみの付き合いがあったブルペン捕手の西口裕治(63)にも相談した。「それなら岡田さんに話をしてみたらいい。一緒に行くから」と提案され、通告の夜に西宮市内の岡田邸に野田は向かった。

 岡田は状況を知ると、すぐに何本もの連絡を取りはじめた。当時は労組選手会の会長。選手会事務局や顧問弁護士など次から次へと電話を入れた。「この話を断りたい」という野田の意向を受けての動きだった。夜中に自分のために先輩が必死に動いてくれる。野田もそこで初めて冷静になれた。「任意引退という最悪の形にはならんやろ。でも断ったら球団はペナルティーを科すことはできる。減俸とか出場停止とか。わだかまりが残ったままではええことないわな」。岡田の説明もよく理解ができた。翌朝、野田は球団にトレードを受け入れることを伝えた。

 「親身に相談に乗っていただいたことは感謝している。面倒見のいい人ですよ。裏方さんにも慕われるのが岡田さん。あのアドバイスがあったからこそ、オリックスで一から頑張ることができたと思う」

 移籍した93年に野田は17勝で最多勝のタイトルに輝き、95年4月21日のロッテ戦(千葉マリン)では1試合19奪三振の日本記録をマーク。球史に名を残した。そのときにバッテリーを組んだのがオリックスの日本一監督となった中嶋。新庄を加え、今季は一緒にプレーした3人が監督として指揮を執るシーズンになる。

 「岡田さんは適材適所で選手をうまく使う。野球頭もすごくいい。中嶋も大胆に選手を使う。どっちも優勝の可能性はあるし、シリーズでの対戦を見てみたい」と野田も開幕を心待ちにしていた。(鈴木 光)

 ◇野田 浩司(のだ・こうじ)1968年(昭43)2月9日生まれ、熊本県多良木町出身の55歳。多良木高から社会人・九州産交を経て、87年ドラフト1位で阪神に入団。93年にオリックスに移籍。00年に現役引退。通算316試合登板、89勝87敗9セーブ、防御率3.50。93年に17勝5敗で最多勝。ロッテ・佐々木朗とともに19奪三振のNPBタイ記録を持つ。現在は野球評論家。

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