【素顔の代表 ザック監督1】就任5カ月で分裂危機

[ 2014年5月21日 11:00 ]

日本を「第二の故郷」と話すザッケローニ監督。「4年間の集大成」と位置付けるW杯ブラジル大会で日本代表を上位に導く

 イタリア人指揮官がもはや「第二の故郷」と言ってはばからない日本で、どのようにしてチームをつくり上げ、どのようにしてサポーターの心をつかんでいったのか。日本代表のルーツを探る連載「代表の素顔」。最終回はアルベルト・ザッケローニ監督(61)。10年8月の就任から約4年。日本で送った生活や、自ら「4年間の集大成」と位置付けるW杯へ向けた、指揮官の意気込みなどに迫った。(取材協力 コリエレ・デラ・セーラ紙・アルベルト・コスタ記者)

 就任して5カ月。ザックジャパンは分裂の危機に直面していた。初めての公式戦となった11年1月のアジア杯。初めての長期合宿で言葉の壁や、サッカー文化の違いが日ごとに浮き彫りとなり、イタリア人スタッフと日本人スタッフの間に亀裂が入りかけた。この危機的な状況に即座に手を打ったのがザッケローニ監督だった。

 長年連れ添ったイタリア人スタッフを外し、日本人スタッフのみでミーティングを行った。指揮官がまず示したのは日本人スタッフに対しての敬意。これを機に日本人スタッフの不満も解消され、スタッフ同士のわだかまりも徐々に消えていったという。その後、日本代表はスタッフ、選手ともに一丸となり、見事にアジア杯を制覇。ザッケローニ監督の機転により後の躍進を支えた礎が作られた。

 10年8月に就任したザッケローニ監督にとって、代表監督、ましてや母国イタリアを離れて指揮を執るのは初めての経験だった。そこで最も注意を払ったのが、「日本人選手の習慣を大きく崩さないこと」だったという。そう証言するのは、ザッケローニ監督がACミランを率いた時代の番記者で、指揮官が最も信頼を寄せるコリエレ・デラ・セーラ紙のアルベルト・コスタ記者だ。

 日本とイタリアとでは文化も違えば、人間の気質も異なる。かつてACミランをリーグ優勝に導いた世界的な名将であっても、自らの意見を頭ごなしに主張し、決して強要することはしない。これこそが異国で成功を収めるための、最重要項目であると考えた。指導するにあたり、「日本のサッカー文化をリスペクトすること」を常に意識した。

 ◆アルベルト・ザッケローニ 1953年4月1日、イタリア・メルドラ生まれの61歳。チェゼナーティコの下部組織で監督業をスタート。95年から指揮したウディネーゼでの手腕が認められ、98~99シーズンにACミランの監督に就任。1年目でスクデットを獲得。01~02年ラツィオ、03~04年インテル・ミラノ、その後、トリノ、ユベントスなどを指揮。10年8月に日本代表監督に就任し11年アジア杯、13年東アジア杯で優勝。

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