中尾彬さん死去 妻・池波志乃が自宅で看取る 悲痛…最期までおしどり夫婦 07年急性肺炎を献身看病

[ 2024年5月22日 13:05 ]

新ガスコンロ発表会で仲睦まじい様子お見せた中尾彬さん(右)と池波志乃夫妻=19年5月
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 「アウトレイジビヨンド」や「翔んで埼玉」など硬軟問わずに俳優として存在感を示し、バラエティー番組でも活躍した中尾彬(なかお・あきら)さんが16日、心不全のため都内の自宅で死去した。81歳。千葉県木更津市出身。妻で女優の池波志乃(69)とは、最期までおしどり夫婦として支え合った。

 15日に体調が急変した中尾さん。最期も池波が自宅で寄り添い、看取った。

 中尾さんは1970年に女優の茅島成美と結婚。78年に離婚。同年に、テレビ朝日「達磨大助事件帳」での共演をきっかけに池波志乃と再婚した。その後、中尾さんの「しのー」という愛情こもった独特の呼び方もほんわかとした笑いを呼び、仲睦まじい夫婦としてバラエティーに引っ張りだことなった。

 だが、2000年代に2人を病魔が襲った。

 池波は06年に末梢(まっしょう)神経に異常が生じる病気「フィッシャー症候群」を発症した。翌07年には、中尾さんが急性肺炎で大阪市内に緊急入院。ICU(集中治療室)に搬送された入院当初は、肺炎による毒素が腎臓、肝臓、筋肉などに回り、多臓器で障害が発生する、危険な状態だった。池波は東京から駆けつけ、献身的に看病した。

 大病を機に、池波の提案で夫婦で“終活”を始めた。千葉のアトリエや沖縄の別荘を処分。トレードマークの“ねじねじ”も200本は捨てた。中尾さんはスポニチのインタビューで「私は、かみさんの言うことは何でも聞くタイプなんでね。やってしまえば楽でした」と相好を崩していた。死にも、最愛の池波と二人三脚で向き合っていた。

 2019年のインタビューでは、2人でよく旅行に出かけると明かし、「思い出づくりというよりは、振り返る旅というのかな。一度行っているけれど仕事の率が高い場所が多いから、ホテルと仕事場だけでその途中がない。だからもう一回確認してみようという気持ちで行っています。計画は以前は私が立てていたんですよ。そのうち面倒くさくなったら、志乃がパソコンで全部調べるようなって。H.I.S.じゃなくて、H.I.Shinoって言っていますよ」と語っていた。

 池波は所属事務所を通じてコメントを発表した。

▽コメント全文は以下の通り
池波志乃です。
終活以来の中尾の遺言で、このような形を取りました。
仕事でお世話になった関係者の方々、マスコミの皆様、親しい友人の方々、応援してくださった皆様に、託された私から、お詫びとご報告申し上げます。
今年に入って足腰が悪く体力も落ちて、医師の訪問を受けながら、本人の意思により、自宅でゆっくり休んでおりました。時には取材や、足腰をかばっての仕事もやらせていただき、本人は元気で12月の旅行に向けて、頑張ってリハビリをしていたくらいでしたが、15日に容態が急変し、16日の夜中に自宅で私と二人の時に、とても穏やかに本当に眠るように息を引き取りました。
あまりに急で、変わらない顔で逝ってしまったので、まだ志乃~と呼ばれそうな気がします。叶いますならば、中尾彬らしいね~と笑って送ってあげてくだされば幸いです。
長い間、本当にありがとうございました。

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