動画大バズリ三味線奏者は東京藝大出身の才媛 楽器始めた意外なきっかけ、知られざる藝大入試の中身

[ 2024年3月25日 07:15 ]

津軽三味線奏者の駒田早代
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 インスタグラムで海外大物アーティストの楽曲をカバーした動画を公開したところ、再生回数合計3000万回を突破し、国内外から大反響を呼んでいる日本人女性がいる。津軽三味線奏者の駒田早代(24)だ。東京藝大出身の才媛で、卒業後は奏者として舞台や演奏活動を行うほか、三味線の先生として三重、東京、京都に教室を構え、生徒の指導にもあたっている。第2回は「ルーツと藝大入試」。(取材・構成 松井 いつき)

 7歳から津軽三味線を習い始めた駒田。「津軽三味線に最初出会ったきっかけは志村けんさんなんです」と明かす。

 「私の母がドリフターズの隠し芸大会を見ていて。三味線を弾かれてた姿がすごく印象的に残っていたみたいで。当時、母は習いたいって思っていたみたいなんですけど、忙しくて挑戦できなかったらしいんです。その時、私が習っていたピアノを辞めて、次に何か習い事をしたいっていうタイミングの時に、じゃあ三味線どう?って」。きっかけは意外にもドリフと志村けんさんだった。

 重い三味線を抱えて正座するイメージだが「椅子に座って演奏することが多いんです。子供の頃はお稽古の間に先生からもらうお菓子も楽しみで、先生から褒めてもらうとうれしくて。どんどん没頭していったというような感じです」。当時から高齢者施設への慰問活動も行っており、人前で弾く経験を積んだ。「三味線をやっている小さい子がいるっていうのは田舎だとすぐパッと広まるので。知り合いの高齢者施設で働いている方が誘ってくださって、ちょっとここで弾いてくれない?と言われて、最初はボランティアで活動していました」。

 1年ほどで豊富なレパートリーが演奏できるようになるまで上達。「母がちょっとスパルタな教育というか…(苦笑)ピアノを最初やっていたのに辞めてしまったので、次はそんなすぐ辞めちゃダメだよと。朝、小学校に登校する前の20分間を朝練と決めて毎日三味線に触れていました」。

 練習の甲斐あって、高校1年の時、三味線の日本一を決める全国大会で優勝。「高校にも横断幕を個人名で貼っていただいたり、地元での活動を応援していただいた。もとは看護師になろうと思って勉強を頑張る高校に進んだんですが、高校2年の三者面談で、『あなたが今一番好きなのは何なの?』って聞かれて。『三味線は、趣味で終わらせていいの?』って言われたんです」。

 担任の言葉が持ち前の負けん気に火をつけた。「三味線は自分の体の一部になっていて、毎日練習しているという感覚はなく三味線を触ったり、遊んだりが普通。これが趣味になるというのがあまり考えられなかった」。両親から大学進学を許され、三味線を学べる大学を調べて藝大受験を決意。国立大学だけにセンター試験の受験勉強と並行し、稽古を積むため「京都まで毎月通っていました」と多忙な受験生活を過ごした。

 東京藝大音楽学部邦楽科の定員は25人。しかも、三味線だけでなく、能楽や雅楽、琴、日本舞踊、尺八、お囃子、太鼓など様々な専攻や流派があるのを合計した定員だけに超狭き門だ。

 どんな入試が行われるのか。「邦楽科の入試は、とにかく『調弦』ができるかどうか。先生が調子笛という笛をピーって吹くんです。それに合わせて調子を合わせるという試験がまず1つあります」「もう1つは三味線というものが、元々歌の伴奏楽器として発達してきたものなので、歌も歌えないとダメ。三味線実技の試験以外にも歌の試験というのもあります。三味線は自由曲と課題曲が試験に出されるんですけど、例えば代表曲だったら勧進帳とか連獅子。オハコの曲以外にもたくさん長唄というものがあるんですが、その中から2曲が選ばれます。当日会場に行ってその2曲の中からどっちの曲を弾いてください、というのを口頭で言われます」と明かす。

 「その時にパッと切り替えて、曲を頭の中で再生して。3、40分ある大曲なんですが、先生の前に行った時に『ここの歌詞の部分から弾いてください』というふうに言われるんです。譜面も持っていけないので頭の中で再生してここからだなと」。完璧な暗譜をしていかなければいけないという。

 「もう合格して当たり前というぐらいの気持ちで臨んでましたね。それぐらい思ってないと」と自らを追い込んだ。早慶にもチャレンジできる学力レベルだったが、「受けると自分に余裕が出てきて、藝大に落ちたらどうしようっていう危機に迫った感じがなくなってしまう。一方に絞りなさいって言われて」と退路を断って、藝大進学の切符をつかんだ。

 藝大と言えば、個性が爆発しているのが世間一般のイメージだが「すごくワクワクしたんですけど、意外と自分のやらなきゃいけないことに毎日追われて。先輩とか周りの同期の子たちも目指しているものがすごい高いものだったので、刺激を受けました。自分の知らない楽器もやらなきゃいけないし、授業の中で日本東洋音楽史とか古文のもっと難しいものや、今まで知らない世界を授業で履修しなきゃいけない。難しいところもあったんですけど、やっぱり刺激的ではありました。“邦楽漬け”というような感じ。正座することにも慣れていないので、30分の曲を1曲弾くのにずっと正座をしなきゃいけない。板間に正座っていうのが本当にきつすぎて、立てなかったりとか足つっちゃったりもしていたんですけど、それも4年間終われば…みたいな感じでした」と懐かしむ。

 個性が強すぎる母校は「やっぱりもう変人が多いので…自分もよく変わってるねって言われることが多いんですけどね」と苦笑しながら、「ただ、邦楽科は丈が膝より下のスカートを履かなきゃいけないとか、あまり派手な髪色にしてはいけないとかいろいろルールがありまして。他の楽器の方は結構奇抜な人が多かったんですけど、邦楽っていうと、やっぱり黒の紋付に夜会巻きをして20歳とは思えないような見た目で試験を受けていたりする。藝大の中でも廊下ですれ違うと、この人邦楽科の人だって分かるような。やはり、裏方さんだからどうしても背景と一緒にならなきゃいけないところがあります。役者さんがメインなので、(観客が)そちらに目が行っちゃいけない。だからピクリとも動けないんですよね。ちょっとかゆいなって、鼻かいたりもできないくらい」。

 早弾きで派手なイメージがある津軽三味線に対し、長い歴史を持つクラシックな長唄三味線。奏法も多く、大人数で迫力のある音を合奏するだけに、何よりも統制がとれていることが重要だ。

 「ずらっと三味線が並んでいて、真ん中に座っている人が一番偉い。三味線の指揮者みたいなものですね。その人が撥(ばち)を上げたタイミングに合わせてみんながパッと撥を上げていくような形になる。横目で見て横が上がったから上げる、弾く、また上げる、弾く。この細かい動作さえ決まっているような感じになったので、精神的にもすごくグッと詰めるような生活をしていました」と緊張感のある毎日を過ごした。長唄三味線では名取制度があり、「杵屋五司駒(きねやごしこま)」として活動している。

 扱う楽器も違う津軽三味線と長唄三味線。“二刀流”で活動する中で見えてきたこともある(次回へ続く)

 5月11日にストリーミングライブを開催。https://www.stream-ticket.com/events/detail/1287.htmlから

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