堀内孝雄「いずれ僕も行くから…」兄貴であり盟友だったチンペイさん…「もう少し一緒にいたかった」

[ 2023年12月11日 20:38 ]

<谷村新司を送る会>焼香する堀内孝雄 (撮影・白鳥 佳樹)
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 10月8日に死去した「アリス」でシンガー・ソングライターの谷村新司さん(享年74)のお別れの会が11日、東京・グランドプリンスホテル新高輪「飛天」で開かれた。

 12月11日は谷村新司さんの誕生日で、グランドプリンスホテル新高輪「飛天」は、1983年に初のディナーショーを立ち上げた場所。そんな思い出の多い場所での「お別れの会」司会進行役には、フジテレビの軽部真一アナウンサーと元NHKでフリーアナウンサーの有働由美子が務めた。会では「アリス50周年」のライブ映像などを見た後、堀内孝雄がステージに上がり、思い出を語った。

 有明アリーナでのライブ映像には「めちゃくちゃ元気でしたね。今この場にいることが、夢を見てるみたい」としみじみ。ここ最近については「ちょっと連絡が途絶えていた時期があって、急に慌ただしくなった。僕も今後のことを考えたりします。報いるのは、自分が変わらず頑張ることが、彼への一番の恩返しかと思うけど、そうはいかない。自分も74歳になって大丈夫なのかと思うけど、五木さんも元気でまちゃあきさん(堺正章)も先輩なのに元気。まだ頑張れるかも?って画面見ながらつくづく感じるけど、それが残されたものの責務。自分の歌を大切に歌っていくことが大切。チンペイさんは今も生きていると思います」と気丈に語った。

 改めて盟友に別れを告げた堀内は、会を終え「いずれ僕も行くから…それまでは頑張ります。突然だったのでね。ひと目でも病室で会えていたらよかったんだけど、それもできずに。突然でビックリしました。皆さんご心配してくださるけど、自分なりにもう少し頑張ります」と声を絞り出した。

 あの日のままで――。堀内にとって、ひとつ年上で兄貴のような存在だった谷村さん。「兄貴であり、ライバルで、切磋琢磨して、向こうにもこっちにもすごく良い影響を与えてくれた」と回想。「同じグループだから何もないということはない。それがあるからライバルでいられた」と時にはぶつかりながら同じ時代を駆け抜けた。

 思い出は「ヒット曲がなくてどうにもならなくて5年がすぎて、6年目に『冬の稲妻』がヒットした。それからアリスの世界観が出来上がっていった。誰が言ったのか“武道館で3日間やろうぜ”って。“できるわけないよ”と言ったんだけど、蓋を開けたらできて、みんな喜んでくれて。それから、力をゆるめないぞと思った」と夢を語り合った青春時代、そして帰らざる日々を懐かしそうに振り返った。

 谷村さんについては「頑固者でへんてこりんですね。とにかくこうと決めたら一途。それが僕にはない部分。完璧にやり遂げないとすまないタイプ。2人とも俺の方が上と思ってる。でなきゃ成立しないよ」と少し笑みを浮かべながら語った堀内。さらば青春の時――。「(デビューから活動休止まで)濃密な10年でした。寝食をともにして合宿もして、寝起きをともにした時代もあったから…。欲を言うならば、もう少し一緒にいたかった。僕はもう少し頑張って、谷村の分まで頑張ります」と天国の兄貴に思いを馳せ、自分自身を奮い立たせていた。

 会場に設けられた祭壇には笑顔の谷村さんの遺影が飾られ、愛用のギターやステージ衣装、コンサートのポスターなども展示。同日にはファン向けの「お別れの会」も開かれ、約2000人が参加した。

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