人気デュオ「19」岩瀬が解散後TV初出演 月給10万から「あの紙ヒコーキ」人気で印税が…

[ 2020年3月27日 21:46 ]

フォークデュオ「19」の岡平健治(左)と岩瀬敬吾
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 1999年に「あの紙ヒコーキ くもり空わって」で大ブレークしたフォークデュオ「19」の元メンバー・岩瀬敬吾(41)が26日深夜放送のテレビ東京系「じっくり聞いタロウ~スター近況(秘)報告~」(木曜深夜0・12)に解散後テレビ初出演。わずか3年で解散した理由を明かした。

 幼なじみだった岩瀬と岡平健治(40)、作詞担当のイラストレーター326(みつる、42)で結成した「19」。名前の由来を聞かれると「なんだったんですかね?ミツルくんから名前を変えないかと提案があって、僕らはそんなにこだわりがなかったので、変えました」と明確な理由は分からないと答え、“ジューク(19)ボックス説”についても「それもあったかな」と反応してから「年齢もあります。19歳、20歳くらいの過渡期の気持ちとか精神的なものを言葉にしたかったと思う」と語った。

 ヒット曲「あの紙ヒコーキ」を筆頭にCDを650万枚売り上げ、一躍人気アーティストに。印税など当時のギャラを聞かれると「(あの紙ヒコーキ)は2枚目のシングルで。最初の約2年間は契約が固定給だったので、最初は10万円でした。家賃は5万3000円で」と告白。固定給だったため、その間に売れた200万枚くらいの印税はまさかの0円だったという。

 その後は「ヒットしてから契約を少し変えさせてもらって、そこからは普通に…」と契約を歩合制に変更。すると「(シングルだけでなく)アルバムとかも含めていきなり印税5000万円が振り込まれました」と明かした。

 だが、「19」はわずか3年で解散。解散の真相について「(理由は)すごく複雑に入り組んでいるんですけど、若かったのが一番大きい。若いと猪突猛進というか、こう決めたらこうと、健治くんも僕にもあったので。大きいけんかも1回あったのですが、自分の作品を世に放つまでは曲げられない部分がお互いに強く持ってて…」といい、互いに作曲を担当していたため「曲を出した方に分があるぞみたいな感覚で。親友から始まったので、感情のズレには、寂しさもありつつ…」と振り返った。

 現在は全国のライブハウスなどを回り活動を続けている岩瀬。MCの名倉潤(51)に「復活したいと思っています?」と質問されると「少し考えたことがありました。(岡平には)言ってないです」と返答。名倉は「今言おうよ!電話しようよ!こういう時に勢いで言ったほうがええねん」と続けると、岩瀬は「今は思ってないので。思った時もあったという感じですね」と笑顔で否定していた。

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