ザ・ぼんち 50年を越える2人の“縁”を語る おさむ「100歳まで漫才をやりたい」

[ 2019年10月1日 05:30 ]

記念イベント「おさむずっーーと喋る」終了後に楽屋で爆笑トークする(左から)ジミー大西、ぼんちおさむ、里見まさと、シンクタンク・タンク、シンク 
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 「平成30年度文化庁芸術祭」大衆芸能部門・大賞を受賞した漫才コンビ「ザ・ぼんち」。ナニワの大御所が受賞記念イベント「おさむ ずっーーと喋る」を23日、大阪ミナミの「YES THEATER」で開催した。ぼんちおさむ(66)と里見まさと(67)が、高校時代に知り合ってからお笑い、芸に対する心、50年を越える2人の“縁”について語った。(古野 公喜)

 「YES THEATER」を埋めた満席326人のファンが総立ちだ。18年10月に大阪で開催した公演「ザ・ぼんち 芸道46年分の漫才」で「平成30年度文化庁芸術祭」大衆芸能部門・大賞を受賞し、その記念イベント「おさむずっーーと喋る」を開催した。

 おさむは生まれて初めての単独ライブMCのため緊張気味。いつもはたっぷり時間のかかる自己紹介も「おさむちゃんでーす」と過去最短級の2秒であっさり。公演開始2分で5回も噛んでしまったが、相方のまさとは「おさむさんらしいMC。それなりにありかなと思います」と目を細めた。

 「そうなんです、山本さん」「ちょっと待ってください、川崎さん」の懐かしの漫才に涙するオールドファンあり。さらにはバンドをバックに売り上げ80万枚の大ヒット曲「恋のぼんちシート」を2人で熱唱。新作漫才のネタおろしでは、おさむが台本を片手に延々とアドリブを挿入。「あと1行で終わりやのに、なんでや?」とまさとがツッコミを入れ、また笑いを誘った。新作ネタを練りに練っていく過程はいつもこうなのだ。

 2人は大阪・興国高校1年時のクラスメート。「知り合ってから50年以上経つ」とまさと。「1年15組で一緒でした。気持ちはその時のまま」とおさむが明かした。まさとは強豪校の野球部員。1年夏の甲子園はスタンドから声援を送り、同校は全国制覇を果たした。「相棒は野球漬けでした。お笑いとか、漫才のイメージが全くなかったんです。ボクはラグビー部を1年途中でやめて。休憩時間に教壇に立って面白いことをやったり、文化祭で漫才をやったりするタイプでした。アメリカのディーン・マーティンやジェリー・ルイスが好きだった」。

 卒業後、おさむはコメディアンを志した。18歳で渡米しようとしたが、親から反対されて断念。「今、18歳に戻ったらニューヨークへ行ってイチからやり直したい」。その後、タイヘイトリオに師事し、他の漫才コンビを結成して、3カ月で解散。一方のまさともプロ野球選手の夢を早々に諦め、お笑いの世界へ。おさむとは別のコンビを5カ月で解散。「形もできないままで解散でした」(まさと)。ちょうど、それぞれが1人になって、タイミングの合った2人が「ザ・ぼんち」を結成した。

 2人の人生が一変した。それまで「寂しいスーパーの店頭や、デパートの屋上でやってました。大須演芸場でお客さん2人とかね」(まさと)。「お客さんが0人の時もあった。(舞台の)緞帳(どんちょう)が上がって、そのまま降りたこともあった(笑)」(おさむ)。関西では認知度も少しずつ上がっていたが“人気者”と呼べるには遠かった。そして、80年4月1日。その後に社会現象まで巻き起こすフジテレビ「THE MANZAI」の第1回が放送された。「ザ・ぼんち」も大爆笑をさらった。

 翌日、羽田から長崎行きの飛行機に搭乗すると、周りの見る目が違っていた。CAからサインを求められ、2人とも「そんなにみんながテレビで観てたとは思わんかった。誰か別の芸能人がいるのかと思った」。「ボクらでいいの?」とCAに聞き返したほど。長崎大の学園祭に出演すると、会場は大パニック。「ウワー、ギャーともの凄い悲鳴があがって。何千人もの学生さんらが集まってくれて。うれしかったですね。あんなの初めてでした」とまさとも驚きを隠せなかった。

 その後の活躍は周知の通り。1日10本、20本と仕事をこなし「恋のぼんちシート」を引っさげ、漫才師として初めて日本武道館でコンサートを開催するまでの人気者となった。“漫才ブーム”は2年で終焉(しゅうえん)。「梅田花月でお客さんの顔を見て、空気感を感じた。燃え尽きた」とまさとは86年、解散を決めた。おさむは「肌で感じてました。これで自分の漫才人生は終わったなと思いましたね。ただ、もう1回やるとするなら、まさと君としかないなあとは思ってた」と語った。

 おさむは俳優の道へ進んだ。「はぐれ刑事には、吉本が(横山)やすしさんの息子の(木村)一八君を推してた。でも、東映のプロデューサーがボクを選んでくれた」。一方のまさとは89年に亀山房代さん(09年に42歳で死去)と新コンビを組み、上方漫才大賞を受賞。亀山さんが結婚した2001年に解散。それぞれの道で活躍していた2人が03年に企画番組に出演。「ネタとかではなく、2人でしゃべっていただけ」だったが、「会社が背中を押してくれた」(まさと)こと、ともに50歳の節目でもあったことで「ザ・ぼんち」を再結成した。

 解散する時「再結成は、ホントは考えてなかった。漫才は簡単じゃない。でも、縁があったんでしょうね」とおさむ。まさとは「再結成はあるかもと思ってた。巡り合わせかなと思う」。まさとは家族と相談し決意。おさむの自宅へ再結成を打診しに行ったが、言い出せずに帰宅するハメに。ただ帰り際、タクシーに乗り込むところでおさむの家族が見送りに来て「おさむさんの奥さんが、おさむさんにも言わんことをボクに言って…。でも、中身は言えませんけどね」とまさとは言葉を濁したが、おさむの家族の後押しもあって、再結成が正式に決まった。

 結成当時、漫才スタイルは「必死でやるだけ。立ち姿はきれいだったと思います」(おさむ)。模索する中で、1つのキッカケでスタイルが確立した。「どうしたら笑いを取れるかって毎日考えていて。テレビ離婚式というネタ。ボクが司会をやって。最初はおもしろくなかったけど、おさむが奥さん役、旦那さん役の両方をやってインタビューする。この掛け合いが受けました」(まさと)。

 その後は「甲子園敗戦投手インタビュー」「それは秘密です」など、司会者と相手役とのやりとり、インタビューのパターンで爆笑を呼んだ。「ボクが、台本はあったけど、勝手に遊べた」とおさむもようやく自分をさらけ出すことができ、コンビは成熟していった。

 再結成後も最初はかみ合わなかった。「同じ繰り返しだった。お互いに大人になってた。いい意味でも悪い意味でも、お互いに遠慮がありましたね。その時に、マネジャーから“このままでエエんですか”と言われて。それから2年ぐらいでマシになってきた。稽古にも身が入ってきたし。オレたち捨てたもんやないで、となってきた」(まさと)。

 70歳がすぐ手の届くところまできた。知り合ってから半世紀を超えた。2人が何度も口にしたのが「縁」という言葉だ。高校も同じ。入門先も同じ。そしてまさとの本名は「里」だが芸名は「里見」。「三枝さん(六代桂文枝)に付けてもらいました。足元をしっかり見つめていきなさい、という意味」とまさと。おさむは「はぐれ刑事で役名が里見大観だった。偶然にも同じ里見。これもやっぱり何かの縁としか考えられませんよね」。縁で結ばれた2人。「相棒がいなかったら、漫才がなかったら今のボクはなかった。これからも舞台に立ったら燃えていたい。お客さんが1人でも10人でも1万人でも全力投球。100歳まで漫才をやりたい」(おさむ)。「もうすぐ50年。漫才という好きなものがここにある。続けられる限りはやりたい」(まさと)。まだまだ名コンビの“縁”は、“絆”は切れそうにない。

 ◆「ザ・ぼんち」 1972年にコンビ結成。73年に吉本からデビュー。80年からの漫才ブームで人気者に。81年に日本武道館で漫才師で初のコンサートを開催。同年、上方漫才大賞受賞。86年に一時解散後、2003年に再結成。18年に第73回文化庁芸術祭大賞を受賞。▼ぼんちおさむ 1952年12月16日、大阪市出身の66歳。▼里見まさと 1952年4月25日、姫路市出身の67歳。大阪・興国高の同級生。98年には「まさと・亀山」で上方漫才大賞を受賞。

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