ロッテ・朗希 WBCへ「自分ができることを100%出し切りたい」「チームが勝てれば、それが100点」

[ 2023年2月14日 05:00 ]

インタビューに答える佐々木朗
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 3月のWBCで先発候補として世界一奪還の鍵を握るロッテの佐々木朗希投手(21)がインタビューに応じ、日の丸への思いや覚悟を語った。高校日本代表で臨んだ19年のU18ワールドカップ(W杯)で味わった悔しさを糧に成長した最速164キロの「令和の怪物」は、17日から始まる宮崎強化合宿を見据え、今後はさらに調整のペースを上げていく。(取材構成・大内 辰祐)

 ――いよいよ17日からは侍ジャパンの宮崎強化合宿が始まる。子供の頃、WBCはどう見ていた?

 「特に印象にあるのは2009年。凄く真剣勝負でレベルの高い中で、勝ち進んで優勝する姿は格好いいなと思っていました」

 ――その時、自分が夢舞台に立つ姿は想像していたか?

 「想像できていなかったですね。今は優勝に向けて自分のできることをやらなきゃなという思いです」

 ――WBCは楽しみか、不安か?

 「不安の方が大きいと思います」

 ――どういう不安?

 「日の丸を背負っていること、相手打者のレベルが高いのもそうですし、負けられないというところ。自分の実績があまりないので、そういうところから(不安が)あるかなと思います」

 ――日本代表の強力な投手陣で、先発候補は自身含め4人だけ。

 「それは予想でしかないので分からないですし、僕がどう思うとかはないです」

 ――どういう役割でもこなす思い?

 「はい、そうです」

 ――吉井監督は米国ラウンドで投げてもらいたいと言っていた。
 「凄くうれしいしモチベーションになる。そういうところで結果を出せる選手になっていきたいと思う」

 ――本気モードの米国はイメージできる?

 「どういった場面で投げるか分からないけど、任せられたところを、そんなに長いイニングにならないと思うので、一人一人集中してゼロに抑える、結果的にそうなるように戦いたいです」

 ――高校日本代表では韓国戦に登板して本来の力を出せなかった(※1)。リベンジの思いも?

 「全く別物なので、そういう気持ちはないですけど、力になれないもどかしさがあったので、今回は自分ができることを100%出し切りたいです」

 ――大船渡3年の夏の岩手大会決勝では当時の監督が登板させない決断をした(※2)。今、振り返ってどう思うか?

 「特に何とも思わないです。体のことだったり、投球の障害とかそういうことを学んでいく上で、良かったかもしれないし、関係なかったかもしれないし、それは分からないので」

 ――当時の自分と現在で違うところは?

 「もちろん技術的、体格的、タフさ、メンタルも、全てにおいてレベルアップしているかなと思います」

 ――吉井監督が同じチームにいることで感じるメリットは?

 「元々“こうしろ”とか言われるのは(自分に)合う感じではないので、高校の時からそういう形でやっていたし、ある意味、好きにやらせてもらったので、それがプロになってもできているのは吉井さんがいたから。おかげで良くも悪くもいろいろな経験ができて、その分、自分の中で吸収が早かったりとかはあると思います」

 ――日米球界で活躍し今回の石垣島キャンプを訪問した野茂英雄氏と話す場面もあったが、内容はフォーク?

 「フォークです」

 ――取り入れられそうな部分はあったか?

 「自分の感覚と全く違うわけではないですし。ただ、何となくそういうふうな球になっていたのを、何でこうなるのかを説明してもらったり。そういう話をしてもらいました」

 ――改めて直球へのこだわりについて。

 「やっぱり大事な球。それが良くなれば変化球も生きます。真っすぐだけがという思いはないけど、真っすぐがなければ、という思いはあります」

 ――代表メンバーの先行発表会見でエンゼルス・大谷が「勝つために」と何度も言った。

 「あれは皆が思っていること。トップの選手が言うことで、引き締まる部分はあるのかなと思いました」

 ――大谷の存在、印象は?

 「会ったことないですし、生で見たことがないので、それは分からないです」

 ――栗山監督は「世界的な規模の選手になってほしい」と話していた。期待は感じる?

 「特にそういうのはないですけど、個人よりチームの勝ち負けが本当に大事。そういう意味で結果的にチームが勝てれば、それが100点。仮に僕が打たれても、勝ったら勝ったでいいですし、抑えても負けたらやっぱり悔しいですから」

 ※1 19年のU18W杯で中心選手として期待された佐々木朗は、大会直前の大学日本代表との壮行試合に先発も右手中指のマメでわずか1イニングで降板。その後はノースロー調整を続け9月6日の韓国戦に先発したが患部が悪化し、またも1イニングで降板。試合は延長10回の末、4―5で敗れて自力優勝の可能性が消滅。大会は5位に終わった。

 ※2 大船渡2年から150キロ台を連発して注目を集め、3年春には高校日本代表候補の合宿での紅白戦で高校生史上最速の163キロを記録。同年夏は岩手大会から全国の注目を集めて順調に勝ち進んだが、21日の4回戦・盛岡四戦で12回194球を投げ、24日の準決勝・一関工戦でも9回129球を投げ抜いた。ここまで9日間で4試合29イニングで435球を投げており、25日の花巻東との決勝は「故障予防のため」と当時の国保陽平監督の意向で出場を回避。チームは2―12で敗れ、甲子園出場を逃した。

 ◇佐々木 朗希(ささき・ろうき)2001年(平13)11月3日生まれ、岩手県陸前高田市出身の21歳。大船渡では1年夏からベンチ入りし3年春に最速163キロを計測。19年ドラフトで4球団競合の末、ロッテ入団。21年5月27日の阪神戦でプロ初勝利。22年4月10日のオリックス戦で史上16人目の完全試合、13者連続奪三振(世界記録)、1試合19奪三振(プロ野球タイ記録)を樹立。1メートル92、92キロ。右投げ右打ち。

 ▽09年WBCの日本代表 巨人・原監督が指揮を執り、イチローを筆頭に松坂、城島、福留、岩村のメジャーリーガー5人も出場したタレント軍団をまとめた。敗者復活方式を採用した1、2次ラウンドを勝ち抜き4強入りすると、準決勝は米国に松坂―田中―ダルビッシュの継投で勝利。決勝は韓国と同大会5度目の対戦となり、延長10回に不振が続いていたイチローが決勝の中前2点打。5―3で06年の第1回大会に続く連覇を達成した。

 【取材後記】キャンプイン後、何度か囲み取材の機会はあったが、佐々木朗にじっくり話を聞いたのは今回が初めて。合同インタビューで複数の記者からの質問に言葉を選びながら丁寧に答えていたが、最後まで“警戒心”は解いていないように感じた。昨年まで取材した体操の橋本大輝(21=順大)や卓球の伊藤美誠(22=スターツ)ら同年代のトップアスリートもそうだが、彼らの世界観や価値観が正確に伝わらず、発した言葉が独り歩きすることもある。そういったことへの警戒か。単にこちらが構えすぎなのか?58歳で初めて飛び込んだプロ野球の現場。少しずつ距離を縮めていけたらと思う。(大内 辰祐)

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