61年のマリス、ルースと同じ154戦目時点では58発 「61」は91年まで注釈付きのリーグ記録

[ 2022年9月30日 02:30 ]

ア・リーグ   ヤンキース8-3ブルージェイズ ( 2022年9月28日    トロント )

ロジャー・マリス(AP)
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 ヤンキース・マリスと僚友のミッキー・マントルが本塁打を量産していた1961年7月。ルースの友人だった当時のフォード・フリック・コミッショナーが異例の声明を出した。「(ルースが60本を放った)154試合でなく162試合で決めた場合はアスタリスク(注釈)を付ける」。今では間違った判断と理解されているが、マリスも、ファンも、この声明で154試合をデッドラインと意識してしまう。

 また、生え抜きのスーパースターだったマントルが報道陣にもサービス精神旺盛だったのに対し、ミネソタ州の田舎育ちで、アスレチックスから移籍2年目のマリスは元来、口数が少ないタイプ。メディア受けが良くなく、記録を抜くならマントル、という機運も高まっていた。

 154試合目の舞台はボルティモア。その時点で58本だったマリスは重圧から耐えられずに先発落ちを志願したほど。結局出場して59号を放ったが、1本届かなかった。1分けがあったため組まれた163試合目で61号を放った試合の観衆は、当時6万7000人を収容できたヤンキースタジアムで3分の1程度の2万3154人だった。熱心なファンは喜んだが、万人には祝福されなかった。

 大リーグの記録集には、シーズン本塁打記録が2つ並び、ルースの60本の下に注釈付きのマリスの61本が記された。この状態は91年まで続いた。(奥田秀樹通信員)

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2022年9月30日のニュース