東北勢「劣等感」の排除 自分たちの“スタイル”貫き変わった意識 

[ 2022年8月25日 04:00 ]

03年夏の決勝、決勝タイムリー打となる三塁打を浴び、打球を見送るダルビッシュ有
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 107年もの間、東北勢の優勝を阻んできた要因の一つに「劣等感」がある。東北、仙台育英(ともに宮城)を率いて甲子園30勝を挙げた名将・竹田利秋氏(81=国学院大野球部総監督)が23日付の本紙で指摘した通り、関東以西のチームとの力の差を必要以上に意識。かつて初戦は東西対決となる仕組みだった組み合わせ抽選会は、対戦相手が決まるたびに東北勢との明暗が浮き彫りになっていた。

 そんな光景は69年夏の三沢(青森)と71年夏の磐城(福島)の準優勝で薄れたとはいえ、1980年代くらいまでは残っていた。東北勢の大会前の意気込みは「とにかく1勝したい」だ。優勝を目標に掲げる学校は、ほぼなかった。89年夏に準優勝した仙台育英のエースだった大越基氏(51=現早鞆監督)も「東北地方の劣等感を含め、深く重いものがあった」と当時を振り返っている。

 雪国のハンデを含む環境面、レベルの格差などで根強く残っていた「劣等感」。それがどう解消されたのか。過去の東北勢の決勝進出チームを見ると、柱になるエースと堅い守りか強打を備えていた。01年春と03年夏に白河の関越えを2度阻んだ「木内マジック」で有名な常総学院元監督の故木内幸男氏は生前、こう語っていた。「(01年春の)仙台育英は力で押してくるチーム。バントで野球を小さくして何とか勝ったけど、打線は最後まで力で押してきて苦しめられたよ」。03年夏も東北のダルビッシュ(現パドレス)を予想外の強攻策で攻略したが、自分たちの野球を崩さない東北の圧力を最後まで感じたと回顧している。

 選手たちが「この形なら勝てる」と自信を持つチームづくりを進め、それを貫く。個々のレベルアップと同時に、明確なチームカラーを打ち出すことで「自分たちの野球をすれば、どこでも互角以上に戦える」と意識が変わっていった。組み合わせ抽選会で下を向く東北勢の姿は消え、はっきりと「目標は優勝」と宣言する学校もある。

 選手たちが自信を持って戦えるスタイル。今夏の仙台育英は象徴的だった。エース級を5人そろえた投手陣と野手の間を抜く強打。選手たちは自信を持って「育英の野球」を貫き、深紅の大旗を東北へ持ち帰った。(高校野球取材班)

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2022年8月25日のニュース