【内田雅也の追球】「五月蝿い」走者 阪神大勝呼んだ近本の足 投手揺さぶる走者が何人いるか?

[ 2020年10月9日 08:00 ]

セ・リーグ   阪神9―1広島 ( 2020年10月8日    マツダ )

5回2死一塁、近本は盗塁を決める
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 ピュリツァー賞も受けたアメリカの女性作家・歴史家、ドリス・カーンズ・グッドウィンは6歳のころ、父から「世界一きれいなもの」を見せてもらった。ニューヨーク・ブルックリンの自宅から坂道を上り、連れてもらったエベッツ・フィールドである。赤茶色の土に緑の芝に感激した。

 そこはドジャースの本拠地球場だった。1949年夏、金曜日の夕方、初めてナイター観戦に出かけた時の思い出だ。著書『来年があるさ』(ベースボール・マガジン社)につづられている。

 彼女はジャッキー・ロビンソンのファンだった。大リーグの「人種の壁」を破った選手だということは、後に大きくなってから知った。
 いつもはラジオ中継を聴きながら、父にもらった真っ赤な表紙のスコアブックをつけていた。帰宅した父に見せるのだ。

 「ほら、見てごらん!」と夕食後、スコアを手に父が言う。「ロビンソンが二塁でしつこくピッチャーの気を散らしたから、次の2人のバッターがフォアボールで満塁さ。これがロビンソンのすごいところなんだ」

 そのドジャースがロサンゼルス移転後に現れた快足走者、モーリー・ウィルスは「アブさん」と呼ばれた。日本で言うハエや蚊と同じで<うるさい走者を意味する>と日米野球界の懸け橋となった鈴木惣太郎が本紙で紹介している。大リーグ史上初の3けた盗塁(104)を記録した翌年、1963(昭和38)年3月1日付で<アブさんは投手の気を散らして味方の快打を狙わせる>。

 この夜圧勝した阪神を優勢に導いたのはロビンソンやウィルスのような近本光司の働きだった。相手広島の先発・野村祐輔の投球を狂わせた。

 1回表先頭で左前打。けん制球をもらいながら2ボールと北條史也のカウントを有利に導いた。二盗スタートを切った3球目シュートは甘く入り、北條は左翼席に先制2ランを打ち込んだ。

 5回表は2死から遊撃左への内野安打で出た。また野村はボール球が先行。けん制球2球をもらって二盗を決め、北條はフルカウントから死球を得てつなぎ、糸井嘉男が右前適時打を放った。

 近本はリードの取り方も何種類かある。走るそぶりを見せたり、見せなかったりで投手を揺さぶる。2年連続盗塁王が有力だが、単に走るだけではない。ウィルスのアブのように、日本語で言う「五月蝿(うるさ)い」走者である。

 グッドウィンには当時、同じくドジャースファンで、8歳の男の子の友人ジョニーがいた。

 「あんなすごいやつはほかにいないさ。どんな瞬間にも、勝つためにプレーしているもんな」とジョニー。「ホント、ホント」と私。「ジャッキー・ロビンソンが9人いたら、うちのチームは負け知らずよね!」

 そうだろう。今の阪神に近本は1人である。だが、問題は足の速さではない。近本のように投手を揺さぶる走者が何人いるかである。この夜の試合で言えば、北條も、梅野隆太郎も小幡竜平もそんなリードや第2リードをとっていた。つまり、走者の意識、姿勢が広まれば「負け知らず」になれるのである。

 冒頭の著書タイトルには毎年優勝を逃し、ファンが「ダメなヤツら」と呼んだチームへの愛情がにじんでいる。そう、まるで阪神と阪神ファンのようである。=敬称略=(編集委員) 

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2020年10月9日のニュース