【球春ヒストリー(4)】1997年・中京大中京 名門が新たな伝統 新ユニで準優勝

[ 2020年3月23日 08:30 ]

97年選抜、「新ユニホーム」で準優勝した中京大中京。決勝まで641球を投げきったエース右腕・大杉樹一郎が快進撃を演出した
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 1997年の第69回大会で9年ぶりに出場を果たした名門にとっては、新たな船出の春でもあった。95年4月に中京から中京大中京に校名変更。現在の同校監督である高橋源一郎氏とともに「1期生」として準優勝の原動力となったのがエース右腕の大杉樹一郎氏(40)だった。

 「しばらく甲子園に出られない期間があった中で、久々に甲子園に出ることができました。勉強と野球を頑張るスタイルは今のチームにも継承されていますし、中京大中京として一つのきっかけは作れたかなとは思います」

 校名とともに伝統のユニホームも一新され、挑んだ選抜でもあった。学校側が文武両道の教育体制を敷いたことで96年春に「立ち襟」が丸首となり両袖やストッキングには赤白青のトリコロールカラーがとり入れられた。胸の自体も筆記体で「Chukyo」となった。「誰が見ても衝撃的だったと思います」と大杉氏も振り返る。

 大会では、敗れた天理との決勝をのぞき、最も苦しんだのが1回戦の日高高中津分校戦だった。「向こうは初出場。絶対に負けられない」という強豪ゆえの重圧が動きを鈍くした。4回に1点を先制され6回に2点を追加された。味方打線は5回まで、まさかの無安打だったが3点差に広がった6回、先頭の寺田良彦の初安打となる右翼線二塁打を起点に2死三塁から3連続四球で1点を返すと藤村博司、辻田誠の連続2点打で一挙5得点し逆転した。

 「2回戦以降は(前年の)秋からやってきたことが出せたと思います」と話したように2回戦・岡山南戦から準決勝・報徳学園戦の3試合は先制点を奪って逃げ切る力のあるところを見せつけた。

 大杉氏は制球いい直球とカーブで追い込み、最後はストライクからボールになるスライダーで打ち取るスタイル。中京大の付属校となったことで学校の偏差値が上昇。「中京史上No・1の秀才」とも言われた頭脳も打者との駆け引きを優位にさせた。決勝では4失点したが全5試合、45イニングを投げ抜いた。

 今年4月から中学3年になる愛息・空楓(そら)さんも同校への進学を希望しているという。昨年夏の愛知大会から「立ち襟」となり、胸の文字も活字体に戻った。自身も憧れを抱いた伝統のユニホームに袖を通す日が、今から待ち遠しい。

 ≪当時エース大杉氏 後輩へエール 夏へ向かう姿素晴らし≫中学校で教壇に立つ大杉氏は、新型コロナウイルス感染拡大の影響で中止となった第92回選抜高校野球大会に出場を決めていた後輩に、夏に向けてエールを送った。「思う通りにいかないこともある。それを教えることも教育。その中で夏へ向かっているのは素晴らしいこと。夏も期待できると思います」。中止決定翌日の12日に一塁側ベンチ上にあるスコアボードの数字が、選抜開幕までの日数から夏の愛知大会開幕までのカウントダウンを表す「あと114日」に変わった。選手自らが行動したことを聞き、後輩ながら頼もしさも感じていた。

 ◆大杉 樹一郎(おおすぎ・きいちろう)1979年(昭54)4月11日生まれ、愛知県出身の40歳。中京大中京では1年夏から背番号12でベンチ入りし2年秋からエース。3年春に甲子園出場し準優勝した。中京大を経て、現在は愛知県名古屋市内にある名南中学校で保健体育科教諭を務める。

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2020年3月23日のニュース