江本孟紀氏 恩師で盟友の野村氏死去の報に「動揺しました」 人心掌握術は抜群、2つの言葉で“再生”

[ 2020年2月14日 20:25 ]

2010年「江本孟紀氏を励ます会」を訪れた野村克也氏(左)と江本孟紀氏
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 野球評論家の江本孟紀氏(72)が14日、「ザ・フォーカス~フライデースペシャル」に出演し、11日に虚血性心不全で死去した野村克也氏(享年84)との思い出を語った。

 江本氏と野村氏は、江本氏が東映から南海にトレードとなった1972年から45年以上にわたって親交がある。3月には共著「超一流」を出版するために最近も何度も打ち合わせをしていたという。それだけに、元同僚の江夏豊氏(71)からの電話で死去の知らせを聞いた時には「動揺しました」と明かした。プロ野球のキャンプの取材で沖縄にいたが「うろたえてしまって、帰る支度をして…。借りていたコンドミニアムの目の前がビーチだったんですけど、しばらく考えましたよ。じーっと」とその日のことを話した。

 江本氏にとって野村氏は「ヤクルトの監督をやっていた時の名将・野村というのとはちょっと違う感じ」と語る。野村氏から「監督生活の中で3悪人。江夏、江本、門田に鍛えられましたから、その後は楽でした」と言われた江本氏だが「私ら2代目です。初代3悪人は杉浦、広瀬、野村なんです。この3人の人が、もともと鶴岡さんから言われたんです。だから、それを引き継がせていただいて光栄です」と語った。それでも「いろんな言葉を駆使して人を引き付ける」掌握術は当時から健在だったという。

 初めて言葉を交わしたのは、71年の1月に南海にトレードで移籍し、自主トレの初日。野村氏は「南海の最初の監督で4番でキャッチャーですから。当時スーパースターですから。自主トレ初日に、グリーンのリンカーンで現れるんですよ。そして『若いのしっかりやれよ。俺みたいな車に乗りたかったらしっかりやれよ』と」話し、前年東映で0勝4敗だった江本氏には「お前、敗戦処理でよう出て来とったけど、俺が受ければ10勝以上するぞ、ってささやかれたんです。俺そんなに出来るわけないってびっくりした。しびれた。で、南海ホークスのユニホーム出されて。これ16番。10勝以上すればエースになれるぞ。きょうからエースナンバーつけとけって。おだてるのにも程があるなって。背中に電気が走った。それまで恵まれない選手生活を送っていたけど、あたたかい、マザー・テレサに会ったみたいって。こんな人いるんだって。たった一言で、沸き立つものがあった」と振り返った。

 しかし、オープン戦の初戦で打たれると「次の日の新聞で『あんなやつ使えへん』って書いてあった。10勝以上って言っておいて、これなんだって。『くそー!よっしゃ~』って来て、その次の試合からずっと抑えて、開幕2戦目の投手になった」と語り、2つの言葉で江本氏を掌握していたことを明かした。その開幕戦は阪急とのダブルヘッダーだったが、2戦目に登板した江本氏は前年に最優秀防御率のタイトルも獲得した阪急の山田久志投手と投げ合った。スコアレスのまま延長12回にもつれこんだものの1死満塁で「最後にデッドボールかで押し出しで負けた」という。だが、試合後にバスの中で野村監督がマイクを持ち「お前ら今日は情けない。お前らは江本に今日の試合で借りが出来た。今度こいつが投げた時には勝たせてやれよ」と言ったことを鮮明に覚えているという。「その時に涙が出た。これで、プロ野球の選手になれたと思った」という江本氏はその年に16勝を挙げて、野村監督に言われた通りにエースに成長したことを、感慨深げに語っていた。

 また、監督との功績が語られているが「バッターとしての記録を見てほしい」と力説。史上2人目の三冠王を達成、63年には52本塁打など、史上2位の657本塁打などの記録を残したことんい「なんで選手・野村にもっと関心を持たないんだ。監督としての成績より打者としての成績がすごいんだ」と語り「相手のピッチャーに対する研究もすごかった」と称えた。

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