【ノムラの遺産3】特性見極め選手生かす「再生工場」

[ 2020年2月14日 08:30 ]

南海時代には江本(中央)らを再生させた野村監督
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 くすぶっていた選手が野村監督の下でよみがえる。人は「野村再生工場」と呼んだ。兼任監督だった南海(現ソフトバンク)時代から、何人もの選手が活躍の場を得た。

 「もったいないなあと思うんや。いいものを持っとるのに、と。生きる道はちゃんとあるんやから」。そんな話をよくしていた。能力があるのに生かし切れていない、生かす場がない…。だから選手の能力を見極め、活躍する場を見いだす。野村氏はそこに無類の力を発揮していた。

 南海時代の71年オフに東映(現日本ハム)から江本を獲得。72年オフには主力の富田との交換トレードで巨人から山内と松原を獲得した。いずれも目立った活躍のない投手3人だった。それが江本がエース格の働きをすれば、山内、松原もローテーション入り。3投手の躍進で73年にリーグ優勝を飾った。山内は直球がスライドする特性があり、松原はフォークとチェンジアップが持ち球。野村氏は「うまく使えば勝たせられると思った」と振り返っている。

 選手の特性を生かすこと。「再生工場」の稼働力の一つだが、もう一つ選手を掌握することも欠かせない要素だった。「江本は本当に言うことを聞かなくてなあ。右と言ったら左や。だから今日は投げ込ませたいと思ったら“おい、今日は投げんでええぞ”と言うんや。そしたらブルペン行って投げとる。江夏もそうやったなあ」。野村氏は笑ってそう言っていた。選手の性格を知り、能力を引き出すことにとにかくたけていた。

 そんな「野村再生工場」で活躍の場を得た選手は数多い。ヤクルトで小早川、楽天で山崎…。南海時代の江夏は「リリーフの分野で革命を起こせ」と救援投手としてよみがえらせた。その根本にあるのは適材適所で、再生だけでなく、育成にもつながっていた。ヤクルト時代には、先発だった高津を抑えに転向させて大成させている。捕手から二塁手→中堅手と転向し、7年連続ゴールデングラブ賞を受賞した飯田哲也氏は言う。「僕の能力を見極めてくれて、使ってくれた。今あるのは野村さんのおかげ」。それは野村氏によって活躍の場を得た選手たちを代表する言葉だった。(特別取材班)

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2020年2月14日のニュース