元中日監督・高木守道氏死去 78歳 2代目ミスタードラゴンズ 通算2274安打の名二塁手

[ 2020年1月17日 21:47 ]

高木守道氏
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 中日で内野手として活躍し、引退後はコーチ、監督を歴任した高木守道氏が17日に死去したことが分かった。心不全とみられる。1941年(昭和16)7月17日生まれ。岐阜県出身。78歳だった。通夜・告別式は親族のみで執り行う。

 県岐阜商では1年から内野のレギュラーに定着し、1年夏と3年春に甲子園出場。中日に入団した60年は5月7日の大洋戦で初打席初本塁打を放った。4年目の63年には正二塁手に定着して50盗塁を記録するなど3度の盗塁王を獲得。リードオフマンとして活躍し、特に74年には巨人を9連覇で止める20年ぶりの優勝に貢献した。

 78年には中日の生え抜き打者では初の2000安打を達成し、名球会入り。21年間で2282試合に出場し、2274安打の打率・272、236本塁打、813打点、369盗塁。ベストナイン7度、ダイヤモンドグラブ賞3度だった。

 80年限りで引退し、81年からはコーチ、2軍監督などを歴任。解説者を経て91年秋に監督に就任した。就任3年目の94年には巨人と激しく優勝を争い、両チームにとっての最終戦で勝った方が優勝する“10・8決戦”の末に2位に終わった。この一戦は、当時巨人を率いた長嶋茂雄監督が「国民的行事」と呼んで高い注目を集めた。

 95年に退任し、06年には野球殿堂入り。70歳だった11年9月には監督に復帰し、12年から2、4位の成績で退任した。中日一筋を貫き、初代・西沢道夫、3代目・立浪和義とともに2代目「ミスタードラゴンズ」と称された。

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