巨人・マシソン「日本人よりも日本人」貫き通した和の心 カナダ代表で東京五輪狙う

[ 2019年12月12日 09:00 ]

決断2019 ユニホームを脱いだ男たち(11)

今季限りで引退した阿部(左)と握手するマシソン(撮影・森沢裕)
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 7歳の長男と4歳の長女は東京で生まれた。巨人に8年間在籍したマシソンは、日本でプロとしてのキャリアを終えた。食事の際には、家族全員で「いただきます」と言うのが習慣になった。

 「日本のことを愛しています。自分も家族も日本の滞在を楽しむことができた」。忍者好きの長男の影響で、日光江戸村がお気に入りになった。カナダ出身だが、球団関係者が「日本人よりも日本人」と評す性格。和を大切にし、チーム運営の改善を訴えたこともある。18年は投手キャプテンも任された、類を見ない外国人だった。

 13、16年には最優秀中継ぎ投手に輝いたが、今季は来日最少の28試合登板。昨年8月に米国で左膝を手術し、オフにはエーリキアという細菌に感染し、高熱に苦しんだ。「膝の手術の影響で自分が思い描くパフォーマンスができなくなった」。6月18日オリックス戦では右内転筋の肉離れで緊急降板。以降は、ランニングで足を引きずる姿が痛々しかった。

 球団には一つのお願いをしていた。「阿部さんの花道を邪魔したくない。ひっそりと身を引きたい」と申し入れ、決断は最小限の関係者にしか伝えなかった。同時期にユニホームを脱ぐ恩人に気を使い、当初は引退会見を開くことも拒否。過去7年と同じように何事もなく成田空港から渡米するつもりでいた。

 フィリーズでは通算15試合に登板して1勝4敗と目立った成績が残せず、12年に初来日。春季キャンプの紅白戦でチームメートに頭部死球し、病院に緊急搬送させた。制球難に苦しむ中、阿部から「全力でなく適度に力を抜いて」と助言され、視界が開けた。捕手の守備位置からよく空中に指で8の字を書かれた。「80%の力で投げるのが一番いいんだよ」という2人だけのサインだった。

 1軍の全選手とスタッフに、サプライズでバットに似た形のビールタンブラーを贈った。今後は自宅のある米国を拠点に、集大成としてカナダ代表での東京五輪出場を目指す。その先は「地元の学校で野球指導の手伝いをしてみたい。将来はチームカナダの中で指導者のようなことができれば」と思い描いている。(神田 佑)

 ◆スコット・マシソン 1984年2月27日生まれ、カナダ出身の35歳。アルダーグローブコミュニティー高から02年にフィリーズ入り。メジャー通算で15試合に登板し1勝4敗、防御率6・75。12年に巨人へ移籍し、13年から4年連続60試合以上登板。13、16年に最優秀中継ぎに輝いた。WBCにはカナダ代表で3度出場。1メートル91、104キロ。右投げ右打ち

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