巨人・坂本「令和1号」同じ30歳、東京Dで原監督の平成1号再現「光栄に思います」

[ 2019年5月2日 05:30 ]

セ・リーグ   巨人5-1中日 ( 2019年5月1日    東京D )

2回1死、坂本勇は左越えソロを放つ(撮影・沢田 明徳)
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 プロ野球は1日、令和に改元されて最初の公式戦が行われた。巨人の坂本勇人内野手(30)が中日戦の2回に左中間へ8号ソロを放ち、「令和1号」をマーク。1989年の「平成1号」も同じ東京ドームで原辰徳監督(60)が打っており、再び巨人勢がメモリアルアーチを放った。12球団で令和最初の白星を挙げ、連敗を2でストップ。首位を堅守し、5年ぶりのV奪回を目指す。

 新元号を迎えた祝福ムードに拍車がかかる。令和野球の始まりを告げる白球が左中間席に届いた。熱狂と対照的に表情を変えず走った坂本勇だが、頭には「令和1号なのかなー」とよぎっていた。

 「平成から令和になって1号を打てたらいいなと思っていた。素直に光栄に思います」。球史に名を刻んだのは午後2時30分。4―0の2回に山井の初球、緩いカーブをすくい上げた。通算191本塁打目の8号ソロ。原監督が「平成1号」を記録したことは前日のニュースで知ったばかりで「令和は僕が打ててうれしい」と喜んだ。数奇な運命か、共に30歳での一発だった。

 2年目の08年、原監督に開幕スタメンに抜てきされてから「凡打の内容を考えろ」と言われ続けてきた。当時は「高いレベルのことを言われている」と感じたという。大きく左足を上げて反動を利用して打っていたが、上げ幅は低くした。軸がぶれず安定感は増した。この日はすり足気味で引き「試合の中でもタイミングを変えている。ハマってくれました」と進化を続ける。

 試合前に恒例となったスタンドの子供とのキャッチボール。少年のような純粋な気持ちが根底にある。幼い頃はバスケの神様、マイケル・ジョーダンに憧れた。昨年はNBA最高年俸41億円以上を誇るステフィン・カリー(ウォリアーズ)が始球式のため来場。興奮した坂本勇は、関係者に急いでバスケットボールの購入を依頼した。サインをもらい、記念撮影まで自ら願い出た。日本のスターが「本当にうれしかった」と子供のように喜んだ。

 昨年まで同僚だった長野(現広島)のいたずらで、打撃練習中に場内アナウンスで「平成のモテ男」と紹介されたこともある。新時代に突入した初回は先頭で左前打。チームの令和初安打も記録し、開幕から続く連続出塁を27試合に伸ばした。令和1号を放ったバットは早速、野球殿堂博物館に展示された。

 原監督に前政権時代の5年前に主将に任命されてから優勝経験はない。「令和の年に優勝できるようにチーム一丸となって頑張ります」。平成元年、2000年のミレニアムはいずれも日本一に輝いている。(神田 佑)

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