【和歌山】選抜優勝の箕島の夏――奇跡を呼んだ“陰のヒーロー”のファインプレー

[ 2018年7月13日 08:00 ]

第61回大会3回戦   箕島4―3星稜 ( 1979年8月16日    甲子園 )

歴史に残る名勝負を終え、握手する箕島と星稜のナイン
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 【スポニチ社員が選ぶわが故郷のベストゲーム】この夏、全国高校野球選手権大会は100回目。ふるさとチームの甲子園での活躍に熱くなった記憶を、北北海道から沖縄まで、今夏の代表校数と同じ56人のスポニチ社員がつづります。

 「桐蔭祭」は体育祭の後、1日はさんで文化祭がある。その中日の日曜日。多くの生徒が準備に来ており、結構な観衆がいた。高校1年生の秋、1978年10月、僕ら桐蔭は自校グラウンドで箕島と練習試合を行った。

 箕島のバスが着くと1人の選手が全速力でネット裏の部室に駆け込んできた。「すまん。スパイク貸してくれ! 殺される!」

 忘れ物だ。殺されるとは穏やかではないが意味は察した。OB来訪用に用意してある10足以上の品を「どうぞ」と差し出した。

 メガネをかけたその選手は2年生の久保元司さんだと後で知る。

 明けて79年。選抜優勝の箕島の夏、久保さんは陰のヒーローだった。和歌山大会初戦、1―0辛勝の市和商(現市和歌山)戦で決勝犠飛。わが桐蔭は準決勝まで進んで対戦し、5回で0―0。6回、久保さんの右前ポテン打で均衡を破られた。

 そして伝説の甲子園での星稜戦。朝8時からの練習を夕方6時に終え、いつも寄るパン屋でテレビをつけると延長に入っていた。激闘に帰れなくなった。

 延長16回表、星稜勝ち越しは2死一、三塁からの右翼線安打。長打コースを久保さんが事前の位置取りで単打で止めた。尾藤監督は後に「隠れたファインプレー」とたたえた。あの回2点目を防ぎ、裏の森川同点弾など奇跡を呼んだのだった。

 あの忘れ物事件で親近感があった。スパイク返却時「助かったわ」の笑顔にほっとしたのを覚えている。

 ◆内田 雅也(大阪本社編集委員)高校時代、雑誌で「桐蔭に怪腕内田あり」と見出しに。第1回大会再現イベント(15年12月)で念願の甲子園マウンドに立った。和中・桐蔭野球部OB会関西支部長。

 <和歌山データ>

夏の出場 84回(通算120勝77敗1分け)

最高成績 優勝7回(和歌山中=1921、22年、海草中=39、40年、箕島=79年、智弁和歌山=97、2000年)

最多出場 智弁和歌山(22)

最多勝利 智弁和歌山(36)

出場経験 14校、うち未勝利3校

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