24歳新星輝いた!重友 独走Vでロンドン確実に

[ 2012年1月30日 06:00 ]

<大阪国際女子マラソン>大きなガッツポーズでゴールする重友梨佐

大阪国際女子マラソン

(1月29日 長居陸上競技場発着42・195キロ)
 ニューヒロインの誕生だ。ロンドン五輪の代表選考会を兼ねて行われたレースで、2度目のマラソンとなった重友梨佐(24=天満屋)が、26キロすぎに福士加代子(29=ワコール)を振り切り独走、2時間23分23秒で初優勝を飾った。日本人女子の歴代9位、08年北京五輪以降では最速となる好記録をマークし、五輪代表を確実にした。優勝候補の福士は9位に沈んだ。

 両手を広げてゴールテープを切ると、重友はそのまま天満屋の武冨豊監督(57)の胸に飛び込んだ。2時間23分23秒は日本人女子歴代9位の好記録。快走でロンドン五輪切符を引き寄せた。「五輪は夢の舞台なので、少しでもアピールできたらと思っていた。凄くうれしい気持ちでいっぱい」。ニューヒロインは無邪気に笑った。

 「予想外」という展開にも動じなかった。2時間22分台を目指しラップを刻んだペースメーカーに先導され、高速レースとなった。序盤で先頭集団は福士、野尻、重友の3人にしぼられた。20・6キロすぎには野尻が遅れ、22・3キロでペースメーカーが外れると福士と一騎打ちとなり、その福士も26・6キロで脱落し、重友の独り旅になった。

 「応援が凄くて最後まで頑張れた。後ろは全然様子が分からず、リズムを崩さないように走ることしか考えなかった」。30キロまでは冷静に5キロ16分台のペースを守った。35~40キロでは17分40秒までラップを落としながら最後まで粘った。「このまま行けば優勝だよ」という声に押され、1メートル68の長身ランナーは一度も振り返ることなくピッチ走法で走りきった。

 天満屋が拠点を置く岡山県出身。陸上を始めた小学生時代からピンク色のユニホームに憧れ、アテネ五輪7位の坂本直子(31)にもらったサインは宝物だ。母・民恵さん(52)は「子供の頃から天満屋のユニホームを着て走っていたんです」と振り返る。

 北京五輪は同僚の中村友梨香(25)の付き添いとして観戦。当時五輪は「私もこういう舞台で活躍できたらいいな」という夢にすぎなかった。それが目標に変わった。昨年3月、出場を予定した名古屋国際が東日本大震災の影響で中止。翌月のロンドンに出場した。24位に沈んだが、武冨監督は「五輪の地でロンドンを意識させたかった」と打ち明けた。

 標的が明確になった今回は調整も万全だった。年末年始に米国で3週間の合宿を張り一時53キロまで増えた体重をベストの49キロまで絞った。1週間前の22日には選抜女子駅伝北九州大会で2区(5・9キロ)を区間2位で走り総仕上げを済ませた。

 レース前には民恵さんに電話をかけた。「(地元に近い)大阪で走れるのがうれしい」。初めて大会当日に連絡をもらった母は決意の強さと体調の良さを感じ取った。民恵さんは、幼少時に走る喜びを教えてくれた祖父・太郎さんの遺影を胸に沿道から見守った。

 「五輪は夢の舞台。最終地点という場所でもある」。感慨に浸るヒロインは今夏、日本中の期待を背負うことになる。 

 【重友 梨佐(しげとも・りさ)】

 ★生まれ&サイズ 1987年(昭62)8月29日、岡山県出身の24歳。1メートル68、49キロ。

 ★陸上歴 小学3年時に備前市ジュニア陸協で本格的に始める。興譲館高では主将を務めた3年時に全国高校駅伝優勝。天満屋入社後も駅伝で活躍。10、11年の全日本実業団女子駅伝ではいずれも5区を走り2年連続区間賞(チームは10年優勝、11年4位)。

 ★マラソン歴 昨年4月のロンドン・マラソンで初挑戦。2時間31分28秒の24位に終わった。まだマラソンの実績がなかった昨年2月には日本陸連の合同合宿に参加。赤羽や福士らとも競い合った。

 ★仕事 天満屋の伝票センターで午前9時半から同11時まで勤務。

 ★性格 自分では「気まぐれ」というが、武冨監督は「見た目はおっとりしているが、闘志を内に秘めるタイプ。練習でも我慢強さがある」とマラソン向きと評価している。

 ★趣味 音楽鑑賞。オフの楽しみは「寝る、歌う、ショッピング」。

 ★座右の銘 「幸せを幸せだと分かっている人間にしか幸せは来ない」
 

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