田原俊彦 ジャニーズ合宿での生活は「もう快適」 出るのも渋々「一番長くいた」ワケ

[ 2023年5月30日 12:22 ]

歌手でタレントの田原俊彦
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 歌手でタレントの田原俊彦(62)が30日までにYouTubeチャンネル「田原トシちゃんねる」を更新。ジャニーズ事務所の合宿所時代の生活を明かした。

 「ジャニーズ合宿所の間取り紹介」のタイトルで動画を更新。田原は1978年、ジャニーズ事務所に入り、79年にTBS「3年B組金八先生」の第1シリーズに出演。80年に「哀愁でいと」で歌手デビューする。

 家族5人で住んでいた山梨県甲府市の自宅から引っ越した最初の合宿所は東京・飯倉片町だった。「合宿所は僕の家の10倍ぐらい大きかったね。間違いなく、150平米、それぐらいはありましたね。合宿所懐かしいな」としみじみ。広いリビングは大きな鏡があり、稽古場のような雰囲気だったといい、「ミュージカル的な台本があって“この役は誰々がやれ”とか、何しろ人前で何かやるってことが稽古みたいな、恥ずかしがらないでどこまでできるか、みたいなのを(やっていた)。それぞれ個性を活かして、どうやってみんなをひきつけるか、笑わせるか。ちょうど金八先生をやっている頃、僕らはここにいた」と懐かしんだ。

 当時は「たのきんトリオ」としてともに人気を博した近藤真彦、野村義男も住んでいたといい、「僕はだいたい2人(部屋)だった」とした。

 デビューから1年後、合宿所は原宿へ引っ越し。「ここは250平米。表参道の路面のワンフロア。リビングは40畳はあった」と説明。田原はジャニーさんの隣の1人部屋だったそうで、「20畳ぐらいあったんじゃないか」。合宿所には近藤、野村、少年隊、男闘呼組も後半には光GENJIのメンバーなども住んでいたという。

 田原は「ここに6年ぐらい住んでたんですよ。一番長く住んだ、みんなそれぞれ出ていくのに」と苦笑。「“楽だな、これは”みたいな。No.1ですから。僕中心に食事も回るし、お風呂も一番、でも、この人、忙しい、帰ってくるのはテッペン(24時)回ってから。朝は8時から出かけちゃうから、寝に帰るっていう」と話しつつ、「こんなにでっかい部屋をもらって、おいしいもの食べられて、洗濯はしてくれるわ、もう快適。6年いた。もうジャニーさんは“早く出てけ!”ぐらいの感じ。“そろそろ出て行かない、トシ。マッチも出て行ったぞ?”ぐらいな感じで、僕は渋々、自分の買ったマンションに引っ越したっていう」と笑った。

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