仮設住宅に響いた“戦メリ”の音色 傷ついた心に寄り添い続けた坂本龍一さん 被災少女と家族ぐるみ交流

[ 2023年4月5日 05:30 ]

コンサート会場の楽屋で、坂本龍一さん(中央)と記念写真に納まる菅原綾乃さん(左から2人目)と家族(菅原教文さん提供)
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 坂本龍一さんと家族ぐるみの交流を続けていた東日本大震災の被災者がいる。仮設住宅を訪れた坂本さんの目の前で、代表曲の一つである映画「戦場のメリークリスマス」の音楽をピアノで演奏。当時14歳の少女に「これからもピアノを続けてね」と笑顔で励ましの言葉をかけてくれた坂本さんの思い出を振り返った。

 2011年3月11日、岩手県陸前高田市にあった自宅が津波で全壊し、祖父母を亡くした菅原綾乃さん(25)。ピアノは5歳から始めたが、教室は津波で流された。避難生活が続く中、同県住田町の木造の仮設住宅に入居。坂本さんが代表を務める森林保全団体の支援で整備されたものだった。

 7月に坂本さんが訪れる予定と知り、父教文さん(58)が「音楽で気持ちを届けてみないか」と提案。震災後に買ってもらった電子ピアノで1カ月間、“戦メリ”を練習した。切ない曲調ながら、震災で傷ついた心が救われる感覚――。実際に本人の前で弾くと「緊張して上出来とはいかなかった」。それでも「言葉より音楽で感謝を伝えたかった」と、思いを込めて演奏を届けた。

 12年末、坂本さんは陸前高田市の体育館でコンサートを開き、菅原さん一家を楽屋まで招いた。地元酒造会社に勤める教文さんが自社製造のにごり酒を贈ると、坂本さんは新幹線などの移動時、その酒を好んで口にするように。闘病中の坂本さんには仮設住宅の住民らと励ましの寄せ書きを贈り、回復を祈り続けた。

 被災地に寄り添い続けた坂本さんと最後に会ったのは19年夏。会うたびに家族4人で坂本さんを囲んで撮った3枚の記念写真が「宝物」になった。

 「一流の音楽家なのに同じ目線で寄り添ってくれた。気さくで、温かさにあふれた人だった」と振り返った綾乃さん。「震災後、いろいろな有名人が支援に来てくれたけど、これほど長く支えになってくれた人はいない」と話した。

 仙台市で一人暮らしを始め、毎日ピアノを弾くのは難しくなった。それでも実家に戻ると、鍵盤に触れたくなる。「きっと、ピアノを見るたびに思い出す」。優しい笑顔がまぶたに浮かんだ。

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