落合博満氏 谷繁監督休養で代行を誰にするか「東京と名古屋を1往復半して話はまとめた」

[ 2023年4月21日 17:20 ]

落合博満氏
Photo By スポニチ

 現役時代に3冠王を3度獲得し、監督としては中日を4度のリーグ優勝に導いた落合博満氏(69)が21日、自身のYouTube「落合博満のオレ流チャンネル」を更新。13年オフに就任し、17年1月まで務めた中日ゼネラルマネジャー(GM)時代について語った。

 2013年10月にGM就任が発表されたと同時に、谷繁元信氏の兼任監督が誕生した。しかし、14年は4位、15年は5位で、監督専任となった16年はシーズン途中の8月に休養、チームは6位に終わった。2016年8月9日に休養が発表された。「白井文吾オーナーからの呼び出しでね、“おまえ、今の現状どう思う?”っていうことで、オーナーが“今にでも辞めさせろ”っていうような」と明かした。突然のオーナー指令だった。

 当時の報道では、佐々木崇夫球団社長と西山和夫球団代表が話し合いを重ねて決断。9日朝に白井文吾オーナーに報告し、その後に谷繁監督に意向が伝えられたという。「それ(監督交代)を伝えたのはね、社長だと思う。契約するしないの権限っていうのはオレには持ってないから」と落合氏は語った。

 同時に谷繁監督の後の代行監督、さらに2017年以降の次期監督の検討も行う状況となった。「次期監督、代理監督を誰にするかっていうのが同じ日にね、議題に上がって。で、“(2軍監督の)小笠原(道大)はどうだ?”っていうから、“いや、小笠原やらせるんだったら新しい年からにしましょうよ”と言って。“じゃあ誰が良い?”って言うから、“ヘッド格の森繁(和)に代理監督をやらせるっていうのが。それで次の年に変えれば良いんじゃないのかな”っていうような話はしたんだけどね」と明かした。そこから谷繁氏の休養と森繁和ヘッドコーチの監督代行への説得が始まった。「並行して森繁を口説かなきゃいけないっていうやつがあって。東京と名古屋を1往復半して、それで話はまとめたけどね」と語った。

 落合GMが全権を握っていたわけではなく、あくまで人事権はオーナーであり、球団社長、球団代表にあった。当時は落合GMが谷繁監督を途中休養させたとの論調もあったが「そんな権限ありませんよ。まして、(谷繁監督と)4年契約を結んでるわけだから、4年そのままやらせりゃ良いじゃないかっていうようなのが。あたふたしましたよ」と持論を語った。スタッフが「GMという立場では谷繁監督に4年間やらせてあげたかったですか?」と確認されると「4年やらせて、それで結果がどうなのかっていう所で判断した方が、良かったんだろうとは思うけどね」と語った。

 さらに落合氏は谷繁氏への今後の監督復帰への思いにも言及した。「どれだけ外へ出て勉強して、野球ってのはどういうものなのかっていうものをね、改めて一から勉強したら、監督やるっていう目は出て来るんだろうとは思うけどね」と期待を寄せていた。

続きを表示

この記事のフォト

2023年4月21日のニュース