歴代担当記者が振り返る秋山翔吾の素顔

[ 2022年7月9日 05:30 ]

セ・リーグ   広島2―9中日 ( 2022年7月8日    バンテリンD )

<中・広>3回、秋山は適時打を放つ(撮影・椎名 航)
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 【記者フリートーク】自身初のセ・リーグとなる広島での日本復帰戦をマルチ安打で飾った秋山。西武時代、メジャー時代を近くで取材してきた歴代の担当記者が、2000安打を目指して再スタートを切った希代のヒットマンへのエールも込め、思い出を語った。

 ≪貫くスタイル≫秋山のプロ1年目だった11年の開幕前。印象に残っている言葉がある。「差し込まれた打球を打ちたくない。そういう打者と思われてしまうので」。八戸大から10年ドラフト3位で入団。当時は守備と走塁は即戦力で課題は打撃という評価だった。2月のキャンプではフリー打撃や実戦形式の打撃練習で引っ張る打球にこだわっていた。プロのスピードに対応できないというレッテルを貼られたくない。その一心だった。

 アピールが実り、開幕戦では西武の新人外野手で30年ぶりにスタメン出場。2試合目には3安打を放った。日本球界に復帰した今、これまでの実績もありアピールは必要ない。それでも調整で出場した2軍戦で安打を量産するなど健在ぶりをアピールした。周囲を納得させるために全力を尽くすスタイルは、11年前と全く変わっていない。(11年西武担当・川島 毅洋)

 ≪原稿を「添削」≫皮肉を何度か言われた。秋山がシーズン216安打のプロ野球新記録を樹立した西武時代の15年だ。連日大挙して押しかける報道陣に「新聞に毎日毎日、書かれるから“年間何安打ペース”か計算の仕方を覚えちゃいましたよ!重圧をかけてもらってありがとうございます」とチクリ。記事は全て目を通している印象で書き方を指摘されたこともあった。

 愚直な性格。負け試合では「今日は僕は答えません」と早足で帰ろうとする。だが駐車場まで食い下がると車に乗り込む直前で必ず足を止めてくれた。同年、立てていたバットを寝かせて担ぐ現在の打撃フォームに変えた。ヘッドがスムーズに出るようになり安打製造機へと化した。改良点を書いた新聞を目の前で読んでもらい「添削」してもらったこともある。記者としても成長させてもらった男の日本での再出発。活躍を願っている。(14、15、22年~西武担当・神田 佑)

 ≪雪山にダイブ≫06、07年に西武担当だったため当時は秋山と接点はないが日本ハム担当で北海道在住だった16年12月に取材する機会に恵まれた。選手数人で札幌市内で野球教室を開催。前年の15年に216安打のプロ野球記録を樹立したスターの登場に少年少女らの質問も集中したが一人一人に丁寧に教えていた姿を思い出す。

 ただ記者が最も印象に残っている場面は野球教室終了後。大雪の影響で会場の体育館のすぐ横には雪の山があった。誰ともなく「おい、誰か突っ込むなよ」と“振り”の声が。瞬間、走り出したのが秋山だった。新雪ではなく除雪されたもの。いわば氷の塊だ。勢いよく激突。その場の全員が腹を抱え笑った。
 その後、球場などで会うたび「あのダイブは今でも思い出して笑う」と伝えると「光栄です」と返してくれる秋山。誰からも愛される人柄や周囲を楽しませるサービス精神は、広島でも健在だろう。(プロ野球デスク・山田 忠範)

 ≪米の経験糧に≫秋山が米で過ごした3年、常に行動をともにしたのが通訳兼広報を務めたルーク篠田氏だ。コロナ禍が直撃した1年目の20年は同居生活からスタート。レッズ退団後は打撃投手を務めるなど、公私で秋山を支えた。

 日本球界復帰が決まり2人は離れ離れに。今後も大リーグ関連の仕事に就くルーク氏は秋山からジョーク交じりに「現役引退した後に俺を雇えるくらいの立場にいてね」とエールも送られた。どんな状況でも秋山らしく心配してくれる気持ちがうれしかったという。

 ルーク氏は秋山がマイナー戦で放った帰国前最後の一発が忘れられない。「打った球は95マイル(約153キロ)の直球。めちゃくちゃ飛びました」。米国で苦しみ続けた95マイル以上の直球を仕留めた。米国でやってきたことは決して無駄ではないと2人は確信しているだろうし、記者もそう思う。(MLB担当・柳原 直之)

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2022年7月9日のニュース