牛島和彦氏「大島さんの言葉で決断した」1986年12月、ロッテ・落合博満と1対4の電撃トレード

[ 2021年7月5日 16:43 ]

落合とのトレードで中日からロッテに入団した4選手と活躍を誓いあう(左から)有藤通世監督、平沼定晴投手、上川誠二内野手、松井静郎球団社長、牛島和彦投手、桑田茂投手
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 現役時代に中日、日本ハムでプレーし、日本ハム監督も務めた野球解説者の大島康徳(おおしま・やすのり)さんが6月30日、大腸がんのため、都内の病院で死去した。70歳。大分県中津市出身。スポニチ本紙評論家の牛島和彦氏が大島さんを追悼し、1986年12月、ロッテ・落合博満と1対4の電撃トレードの秘話を明かした。

 5月にバンテリンドームでお会いしたのが最期になりました。「お腹に水がたまってるんだ」と聞いて心配していたのですが…。余命1年の宣告から5年近く。強い人でした。

 中日時代は11歳も離れているし、野手と投手。なかなか話ができませんでしたが、1986年の12月です。静岡県の裾野カンツリー倶楽部で行われたゴルフ番組収録の帰り、私の車で名古屋まで送ることになったんです。私のトレードが噂になっているときで車中、大島さんは「オレがおまえの歳(当時25歳)だったら(トレード先の球団に)行くよ」と話してくれました。

 落合博満さんと1対4の交換によるロッテへのトレードを通告されたのはその夜のことです。悔しくて引退も考えましたが、ぎりぎりで受ける決断をしたのは、大島さんの言葉が耳に残っていたからです。

 1年後、今度は大島さんが日本ハムへトレード。「おまえにああ言ったからな。オレも(パ・リーグに)来たよ」と言われたのを覚えています。大島さんに背中を押してもらった私が、逆に背中を押すことになったんでしょうか。

 住まいがまだ決まってなくて「どこかいいとこないか?」と聞かれ、たまたま当時住んでいた用賀のマンションに空きがあったので紹介したんです。何年間か同じマンションに住んでいました。

 そんな縁のある先輩が…。昔のことを笑ってしゃべれる人がいなくなるのは、寂しくてたまりません。あのとき大島さんに「オレだったら行くよ」と言ってもらわなければ、その後の野球人生があったかどうか。ありがとうございました。(本紙評論家。79年ドラフト1位で中日に入団し7年間、大島さんと一緒にプレー) 

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