センバツ交流戦決定の裏で 人知れず動いていた石井浩郎氏の使命感と球児への思い

[ 2020年6月11日 09:15 ]

石井浩郎氏
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 センバツに出場するはずだった球児たちに甲子園でプレーする機会が与えられることになった。一度は諦めた夢の舞台だけに、32校の選手、父兄、関係者らにとってはうれしいニュースとなったに違いない。

 一方、人知れず水面下でセンバツの代替開催を働きかけていたある人物も、この知らせを喜んだ。元プロ野球選手にして、現在は参議院議員の石井浩郎氏だ。

 3月13日にセンバツの中止が決まった直後から「何とか選手たちに甲子園で試合をやらせてあげる方法はないか」と具体的な策を練っていた。そして数日後には、学校の授業がないゴールデンウィークの5月1~6日に甲子園で各校1試合ずつ行うことを軸とするプランを携え、各方面との折衝に動いた。

 このプランを実現するためには何より主催の日本高野連と毎日新聞社の了承がいる。さらにこの時点でプロ野球は4月24日開幕を目指しており、甲子園は5月2、3日に阪神―ヤクルトのデーゲームが入っていた。そのため、阪神球団にナイターへの移行をお願いし、昼間は高校野球に貸してもらわなければならない。すでにチケットの前売り券発売は始まっており、中継を予定しているテレビ局の編成面の問題もある。クリアしなければならない問題はいくつもあった。それでも石井氏は「できない理由を並べるより、まず動かないと」とNPB、日本プロ野球OBクラブ、阪神、早大やプロでの先輩、後輩らを相手に代替開催の必要性を訴え続けた。3月24日には大阪を訪れ、日本高野連と毎日新聞社に直訴した。さらに野球界だけでなく、首相官邸にまで出向いて理解を求めたという。あらゆる人脈を使いながら実現への糸口を探った。

 なぜ、石井氏がここまで動いたか。今回、自身の地盤の秋田県勢はセンバツに出場しない。「秋田勢が出ていたら〝自分のためにやっている〟と言われてしまう。だから動けた。地元のためではなく、野球をやっていた人間として何か力になれることはないかと思った」という。もちろん政治家として参議院で文教科学委員会の理事を務めている使命感もあっただろう。だが、一人の野球人として、球児たちを放っておけなかったというのが大きな理由だった。

 秋田高出身の石井氏は甲子園に出場していない。早大―プリンスホテルから近鉄に入団し、巨人、ロッテ、横浜の4球団でプレー。現役通算13年で162本塁打を放つなどプロでは実績を残した。それでもやはり甲子園は特別なものだという。「甲子園は素晴らしいよ。甲子園でプレーできる機会なんて、ほとんどの高校球児は一度もないんだから」。

 結局、3月25日に東京で初の40人越えとなる41人の感染者が出るなど、この日を境に首都圏で感染者が急増。プロ野球の開幕再延期が決定し、スポーツ大会開催へ向けた気運も萎んでいった。石井氏のセンバツ代替開催プランも日の目を見ることはなかった。

 そして6月10日。紆余曲折を経て、日本高野連はセンバツに出場予定だった32校による甲子園での交流戦実施を発表した。期間は8月10~12日、15~17日の6日間で、各校1試合ずつを行うというもの。石井氏のプランと相似点もある。石井氏は今回の決定について「オレは何もできなかったけど、父兄や選手のことを思うと本当に良かった」と語るのみだが突然、甲子園を失った選手のために、こんな汗をかいた人物もいたことは記しておきたい。 (記者コラム・白鳥 健太郎)

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