“四位一体”で実現したセンバツ交流試合

[ 2020年6月11日 10:57 ]

甲子園球場
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 日本高野連は10日、8月にセンバツ大会に選出された32校を甲子園球場に招待し「2020年 甲子園高校野球交流試合(仮称)」の実施を発表した。甲子園への夢を絶たれた球児たちへ1試合限定ながらプレーの機会を提供する英断を下した。

 センバツに出場するはずだった球児たちが夏に甲子園の舞台に立つ。よく考えてみると高野連&毎日新聞社が主催するセンバツ大会出場予定の選手たちが、高野連&朝日新聞社が主催する夏の全国選手権大会期間に試合をする。一見矛盾するような「交流戦」を実現させた関係者の努力は大変なものだったと想像する。

 ある関係者は実現にあたって「奥島さんが大きかったね」と言った。奥島さんとは08年から第6代高野連会長に就任した奥島孝康氏のこと。09年に朝日新聞社&毎日新聞社に「春と夏の大会でお互い協力しませんか」と呼びかけ、翌10年からセンバツ大会は朝日新聞社が、夏の全国選手権大会を毎日新聞社がそれぞれ後援することが決まった。それまでは入場料金を春・夏とも同一にする程度の協力だったが、後援に名を連ねたことで一気に連携が強固になったといえる。さらに阪神甲子園球場が特別協力で加わり、高野連を軸とし毎日&朝日&甲子園球場がスクラムを組む形ができあがった。もし09年の決断がなかったら春の球児が夏に戦うなんて舞台はなかったかもしれない。

 5月20日に夏の選手権中止が決まった後も、甲子園期間にプロ野球阪神タイガースの試合に切り替えず「何かできるときのために」と空きの状態で待っていてくれた阪神甲子園球場はまさに“特別協力”を実践してくれた。

 あとはコロナウイルスの第二波、第三波が来ないことを祈るしかない。正常な日常を取り戻すことは難しくても、広いアルプス席に間隔を置きながら応援団、内野席でも外野席でもいいから家族の観戦ができたらいい。

 すべてが球児のためにと動いた結果が交流戦という史上初の大会となった。阿久悠氏が作詞したセンバツの大会歌「今ありて」にこんな歌詞がある。

 「今ありて 未来も扉を開く 今ありて 時代も連なり始める」球児たちは厳しい“今”を感じながら、未来の球児たちに繋がるプレーを見せて欲しい。(落合 紳哉) 

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