【ノムラの遺産6】シダックス監督就任でプロとアマの“懸け橋”に

[ 2020年2月17日 08:30 ]

シダックスで監督を務めた野村克也氏
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 阪神では3年連続の最下位。01年12月に沙知代夫人が所得税法違反などで逮捕されたことを受け、辞任した。野村監督にとっても、阪神にとっても「暗黒時代」となったが、野球への情熱や探究心は少しも衰えることはなかった。わずか1年後にユニホームを着た。それも、社会人野球のシダックス。アマチュアの世界に身を転じ、野球界を驚かせた。

 「今さらなんで?って思うやろうな。まさに波瀾(はらん)万丈の人生。でもまあ、それがワシらしくてええやないか」。野球界への恩返し。それだけではない。野球とは何か――。その答えを見つけるために再び指揮を執った。親交のあった志太勤会長(現最高顧問)からはこう言われた。「アマの選手たちに正しい野球を注入してほしい」。チームの強化だけではなく、社会人野球全体の強化と活性化を求められた。

 プロアマ断絶のきっかけとなった1961年の柳川事件以降では初となるプロ監督経験者のアマ復帰。「自分が社会人の監督になることで少しでもプロアマの垣根が取り払えたら」。自らが“懸け橋”となり、「アマあってのプロ野球」をアピールした。就任1年目の03年に都市対抗に出場すると、決勝まで駆け上がった。優勝すれば史上初のプロとアマの日本一監督となったが、決勝で三菱ふそう川崎に4―5で惜敗。継投策で後手に回り「投手交代のタイミングを誤った」と悔いた。

 翌04年の都市対抗も準々決勝で敗退。頂点には立てなかったが、シダックス時代に指導を受けた選手は「野村野球」を継承し、指導者になって若い世代に伝えている。死去から一夜明けた12日、教え子の立正大・坂田精二郎監督と昌平(埼玉)の黒坂洋介監督が野村氏の都内の自宅を弔問。両監督は2時間立ちっ放しで教えを説かれたことを懐かしみ、安らかに眠る恩師に「野村監督の教えを広げていきます」と誓った。

 06年から楽天の監督として再びプロに戻った野村氏だが、高校野球の監督になることが長年の夢だった。13年に学生野球資格回復制度が導入された。プロアマの雪解けは着実に進んでおり、野村氏も昨年6月に回復していた。球児に技術はもちろん、野球の面白さを教え、甲子園へ――。夢をかなえてほしかった。(特別取材班)

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