西武・大石 “理想のコーチ像”天国の森慎二さんのように

[ 2019年12月13日 08:30 ]

決断2019 ユニホームを脱いだ男たち(12)

17年の春季キャンプ、ブルペンで大石(右)と言葉を交わす西武・森慎二投手コーチ
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 覚悟は決まっていた。戦力外通告を受けた10月3日。「野球を続けるつもりはない」。大石の表情に暗さはなかった。9年間の現役生活を「苦しかった。良い思い出はない。大学までは壁にぶち当たることがなかったが、プロではいろんな壁があった」と総括した。

 早大では「早大三羽ガラス」として斎藤(現日本ハム)、福井(現楽天)とともに注目され、155キロ右腕として10年のドラフトでは1位で6球団が競合。鳴り物入りで入団したが、右肩痛などに悩まされ、思うような成績が残せず苦しんだ。

 4年目は1軍登板なし、5年目は3試合登板。「もうクビかな」。戦力外が頭をよぎったが「今年ダメなら辞めよう」と腹をくくった6年目の16年に36試合に登板し1勝、防御率1・71と活躍した。それでも「毎年そのつもりでやろう」と背水の思いを抱き続けたから、トライアウト受験も考えなかった。

 16年の活躍の裏には二人三脚で歩んできた森慎二投手コーチがいた。大石の5年目、森コーチが2軍投手コーチに就任。「練習を一緒に考えながらやるコーチで、選手に寄り添って考えてくれた」。自身に合う練習法を見いだしてくれ、毎日つきっきりで指導をしてくれた。そのかいもあり、結果が出た翌年の17年6月28日。恩師が42歳の若さで多臓器不全のため急逝した。

 「信じられない、何とも言えない感情だった」。訃報を受け入れることができず、その日の夜は食事の誘いを断って部屋に閉じこもった。「その年はずっと引きずっていた」と時間はかかったが、大きな悲しみを乗り越え、マウンドでは涙をこらえて登板を続けた。

 11月から早速、球団のファーム育成グループスタッフとして、選手のサポートに多忙な日々を送っている。「慎二さんがいなかったらもっと早くクビになっていた」と感謝を口にし、今月下旬に墓前に引退を報告する予定だ。来年からはフロントの運営やコーチングの武者修行で渡米。「コーチになるなら、慎二さんのように選手が成長していけるようなコーチに」。天国の師への思いを胸に、新たなステージに進む。 (武本 万里絵)

 ◆大石 達也(おおいし・たつや)1988年(昭63)10月10日生まれ、福岡県出身の31歳。福岡大大濠から早大に進み、東京六大学リーグ通算60試合で10勝4敗、防御率1・63、217奪三振。10年ドラフト1位で西武入りし、12年7月8日の楽天戦でプロ初勝利を挙げた。通算132試合で5勝6敗12ホールド8セーブ、防御率3・64。1メートル85、92キロ。右投げ左打ち。

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