豊田泰光氏が見た川上氏の“伝説”「球が止まって見えた」

[ 2013年10月31日 09:32 ]

98年3月22日、さよなら多摩川巨人OB戦であいさつする川上氏

 現役時代に「打撃の神様」と称された川上氏の有名なフレーズが「球が止まって見えた」だ。1950年7月、多摩川グラウンドでの練習中に球が一瞬止まった感じになったという。

 58年、その年に引退した川上氏と日本シリーズで戦った当時西鉄の豊田泰光氏(スポニチ本紙評論家)は振り返る。「(引退後)自分は絶好調のときはソフトボールぐらいに見えました」と川上氏に話すと「豊田君、僕はね、球が止まって見えたよ。ウソじゃない。でも、その時期は長くは続かなかった」と明かしたという。

 38年に熊本工から巨人入り。投手から打者に転向し、2年目の39年に19歳で首位打者と打点王を獲得。翌年に本塁打王も獲り、20歳までに打撃主要部門のタイトルを全て手にした。兵役後は「青バット」の大下弘(故人)に対抗し「赤バットの川上」として野球ブームを巻き起こした。

 「コツをつかみ、それからはスランプがなくなった。球を止められたその自信が野球人生を支えた」と話すように「弾丸ライナー」と形容された低い弾道で安打を量産。51年には424打席で三振がわずかに6という驚異的な数字を残している。56年には2000安打も達成。9打数連続安打、1イニング5打点などの記録もマークし、投手としても通算11勝のうち2つは完封で記録している。晩年は勢いのある打球が激減し、形容詞が「テキサスの哲」に変わったが、戦後のプロ野球の大スターとして君臨した。

 そんな川上氏には後輩をからかうちゃめっ気もあった。新人時代、一塁であいさつした際、けん制で刺されたという豊田氏は「プロは恐ろしい。ああやって新人をからかうんだから」と苦笑いする。日米野球で一緒に守備に就いた際は、送球でカーブを投げられ「西鉄ではやっとらんのか」と言われたという。58年のシリーズ、最後の打席では西鉄・稲尾が真ん中に投げ、一、二塁間のゴロを二塁の仰木がわざと捕らないように、追いかけた。豊田氏は「みんなが川上さんに敬意を表していた」と懐かしそうに振り返っていた。

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