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川上氏自筆の掛け軸「平常心是道」 天井に張り付けかみしめる

葬儀が終わり自宅に戻った川上氏の遺骨

 川上氏は監督になってから仏の言葉を書いて自室の天井に張り付け、その言葉の意味をかみしめながら寝ていたという。

 掛け軸「平常心是道」(平常心これ道なり)は、その一つ。

 ≪川上氏にまつわる名言≫

 ☆哲のカーテン 61年に巨人監督に就任し、春季キャンプではグラウンドから報道陣を含めた部外者をシャットアウト。前例のない取材規制に反発の声が上がりながらも、その後も情報統制を徹底。東西冷戦時の緊張状態を例えた「鉄のカーテン」になぞらえて呼ばれた。

 ☆「ボールが止まって見えた」 50年7月、多摩川グラウンドで打撃練習をしていたところ、球が止まって見えるという感覚が生じ、口にした言葉。同年は打率・377で首位打者に輝いた。小鶴誠(松竹)が50年に50本塁打した際の言葉との説もある。

 ☆赤バット 46年8月26日の中日戦で使用し、トレードマークとなった。運動具店から「バットの後ろにボールを通さない」という赤信号に掛けた験担ぎを込めてプレゼントされたなど理由は諸説ある。川上の「赤バット」、大下弘(西鉄)の「青バット」は戦後復興の象徴と呼ばれたが、後に塗料がボールに付くなどの理由で使用禁止となった。

 ☆テキサスの哲 青バットの大下が大きな放物線を描いて本塁打を量産するのに対し、低く鋭い打球を飛ばすことから川上の打球は「弾丸ライナー」と称された。一方で、現役生活の晩年はテキサスヒット(ポテンヒット)が多くなったことが由来している。

 ☆石橋を叩いても渡らない 巨人監督として王、長嶋を擁してV9を達成。しかし、圧倒的な戦力を誇りながら、バントなどの手堅い作戦を多用することから「川上の野球はつまらない」との声も多かった。そんな慎重すぎる采配が「石橋を叩いて渡る」のことわざを転化し、皮肉られた。

 ☆ドン川上 65年に野球殿堂入り。92年には球界初の文化功労者に選ばれた。後年は高齢のため解説者としても一線から退いていたが、それでも球界に強い影響力を持っていたことから、「打撃の神様」「哲」などと並ぶ愛称として定着していた。

[ 2013年10月31日 06:00 ]

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