松山商・一色元監督が死去 69年夏甲子園決勝で三沢と18回激闘

[ 2013年4月25日 06:00 ]

69年夏の甲子園での一色監督

 松山商(愛媛)の監督として69年夏の甲子園で日本一に導き、三沢(青森)との決勝では史上初の延長18回引き分け再試合の熱闘を演じた一色俊作(いっしき・しゅんさく)氏が24日午前5時、虚血性心不全のため松山市道後湯之町4の12のロイヤル道後マンション902の自宅で死去。75歳だった。松山市出身。

 一色氏は、1963年から74年まで松山商の監督(64年から2年間は部長)を務め、甲子園に春夏計3回出場。三沢との史上初の延長18回引き分け再試合に勝って優勝した69年夏の決勝は、今も伝説の試合として語り継がれている。松山商在学時代には甲子園の土を踏めなかったが、母校の監督に就任後は伝統の守りの野球を継承。夜中まで守備練習を続ける厳しい指導で鍛え上げた。松山商・井上、三沢・太田の投げ合いで延長18回の末に引き分けた決勝戦では15、16回の1死満塁のピンチを伝統の守備でしのぎ切り、深紅の大旗をつかみ取った。

 松山商監督を退任後は85年に新田(愛媛)の監督に就任。90年センバツでは準優勝して「ミラクル新田」と呼ばれた。通算4回の甲子園で11勝3敗1分けだった。99年に帝京第五(愛媛)の監督を体調不良で退任していたが、近年は体調も良く、球場へ足を運ぶこともあったという。

 ▼井上明氏(松山商のエースとして69年夏の甲子園で優勝)練習を人の2倍して野手の信頼を勝ち得なさい、とエースとしての心構えを教わった。機動力や考える野球も取り入れるなど、進取の気性に富んだ指導者で、野球人として尊敬できる人でした。

 ▼太田幸司氏(69年夏の甲子園決勝で敗れた三沢エース)凄く温厚で(選抜チームの)遠征では「肩は大丈夫か」と気を使ってくれて、優しかった。ここのところ、一つの時代をつくった名将、名監督が亡くなって寂しい。

 ▼オリックス・西本聖投手兼バッテリーコーチ(松山商OB、75年卒)大変残念で悲しい思いでいっぱい。野球を通じ、さまざまな教えを頂き、人間として成長させていただいた。そのおかげでプロ野球の厳しい世界で何とかやってくることができた。一番の心残りは甲子園にお連れできなかったこと。

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