4年ぶりの復帰へ 大塚晶則 トライアウト受験目指す

[ 2011年7月26日 07:38 ]

 レッドソックスの松坂大輔投手(30)が先月、受けた右肘の腱移植手術(トミー・ジョン手術)。選手生命を脅かす同手術を3度も受け、今も懸命にリハビリと闘っている選手がいる。前レンジャーズの大塚晶則投手(39)だ。現在は米サマーリーグの日本選手球団「サムライ ALL JAPAN」の選手兼投手コーチとして所属し、ブルペン投球を行うまでに回復した。4年ぶりのメジャー復帰へ、今夏以降のトライアウトを目指す。 

 ブルペンでスライダーを投じた大塚は「(球を)押せないな…」と漏らした。自宅から約20分、サンディエゴ市内にあるアライアント国際大。06年WBCで世界一を決める胴上げ投手となった男は今、芝生もまばらなグラウンドで、指導のかたわら練習を行っている。

 今年5月20日、パドレス―マリナーズ戦で始球式を務めた際、肘の状態は「90%」と言っていたが、状況は日によって変化する。「60~70ってところ。まだまだ普通じゃない。でも、悪いなりに投げられている。少しずつは前に進んでいます」。キャッチボールの距離は50メートルまで伸び、ブルペン投球は変化球を交えるまでに回復してきた。

 最後にメジャーのマウンドに立ったのは、07年7月1日。それから4年が経過し、この間に3度のトミー・ジョン手術を受けた。米国でも3度以上受けた投手はほとんどおらず、並大抵の精神力では折れている。だが「一度も諦めたことはない。力が衰えて離脱したわけじゃない。納得するまでやりたい」。現在も故障前と同じ92キロの体重をキープしている。

 大塚には専属の療法士はいない。最初の手術を決断した07年12月。所属していたレンジャーズから契約更新をしないとの通告を受けた。そこからはリハビリも自分でやるしかない。「経験ある人が傷を見ないと分からない。一人でやるとオーバーワークだったり、不安だったり、精神的なものが関係してくる。オーバーワークは最初からあった」と苦悩を語る。

 最初の手術後は、アリゾナ州でアパートを借りて1人暮らしで施設に通った。だが、術後の経過を日々見ている専門家でなければ、細かな状態の変化は分からない。メニューをもらっても、日々の強弱をつけるのは自分だ。キャッチボールは妻や息子が相手。自宅の庭を改造してボールが投げられる場所も生み出した。自室にはトレーニングや治療の器具が並び「自分で鍼(はり)も打てるようになった」と言う。

 サマーリーグは今月で終了。今後の目標は夏以降のトライアウトとなる。「来年のキャンプにどこかでいければというのはあります。メジャーで通用できると思った時にトライアウトを受けると思う」。古巣パドレスをはじめ複数の球団から「肘の状態が良くなったら来てくれ」と非公式ながら打診を受けている。来年1月で40歳。大塚は再び「ヨッシャー」の声を上げる日を信じている。

 ◆大塚 晶則(おおつか・あきのり)1972年(昭47)1月13日、千葉県生まれの39歳。96年ドラフト2位で近鉄入団。98年に最優秀救援投手賞を獲得。03年に中日に移籍。03年12月にポスティング・システム(入札制度)でパドレスと契約、06年からレンジャーズでプレー。同年はWBC日本代表の守護神として胴上げ投手となり、シーズンでも32セーブを挙げた。1メートル82、92キロ。右投げ右打ち。

 ≪トミー・ジョン手術≫損傷したじん帯を切除し、他の正常な腱の一部を肘に移植する手術。1974年にドジャースのトミー・ジョン投手が左肘腱を断裂した際に、チームドクターだったフランク・ジョーブ博士が初めて行ったことから名付けられた。現在の手術成功率は90%前後。完治まで8~12カ月を要すが、じん帯を損傷した9人に1人が手術に踏み切るといわれる。

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