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【コラム】金子達仁

「貧すれば鈍す」を増大させた伊東の幻のゴール オマーン戦で打破してほしい

[ 2021年11月12日 09:30 ]

W杯アジア最終予選   ベトナム 0-1 日本 ( 2021年11月11日    ハノイ )

<ベトナム・日本>前半、シュートを放つ伊東(C)JFA
Photo By 提供写真

 どれほど賢い人であっても、貧乏をすると生活の苦しさのために精神の働きまで愚鈍になってしまうという――という状況をことわざで表すと「貧すれば鈍す」になる。

 では、もしサッカーで表現しなければならなくなったとしたら?わたしは迷わずにこの試合を選ぶ。実に鈍く、そして可能性を感じさせてくれない試合だった。

 なぜこんなことになったのか。短期的に見れば、不可解すぎるゴールの取り消しが大きかった。

 伊東の一撃がネットに突き刺さった瞬間、ベトナムの選手は仰ぎ、ベンチの韓国人監督も大きくのけぞっていた。言ってみれば、やられた側が完全に脱帽していたにもかかわらず、審判団はゴールを取り消すことを前提にしたとしか思えない粗(あら)探しを始めた。

 そして、散々待たせた揚げ句の結論はノーゴール。こんな仕打ちを受ければ、どんなチームだって余裕を削り取られる。つまり、貧してしまう。

 だが、ならば幻のゴールまでの日本は素晴らしかったのかといえば、必ずしもそうではなかった。危なげはなかったが、そのクオリティーはおよそW杯でベスト8を目指すチームのそれではなかった。というより、そもそもクオリティー自体に対するこだわりが薄れてしまっているようにも感じられた。

 4試合を終えて2勝2敗という成績は、最終予選が始まる前にはあった選手たちの誇りや余裕を、ずいぶんと変質させてしまったらしい。

 オマーンに手痛い1敗を喫したことで、選手たちは自らの油断を激しく責めたのだろう。それ自体は間違ったことではない。だが、責めすぎるがあまり、相手を呑(の)んでかかる姿勢までも捨て去ってしまった。

 98年W杯で日本と戦ったアルゼンチンのパサレラ監督は、試合後「日本は我々を尊敬しすぎているようだった」と語ったが、それは、両国の歴史や力関係を考えれば仕方のないことでもあった。ところが、21年11月11日の日本代表は、自分たちよりはるか格下の相手を尊敬しすぎてしまった。

 欧州や南米の予選に比べ、アジア予選のレベルは明らかに落ちる。ゆえに、本大会を考えれば結果だけでなく、世界に通じると選手たちが確信できる内容が必要だというのは、多くの人が思っていたことである。

 この1―0は、W杯につながる勝利だろうか。試合内容は、鈍くなってしまった精神を再び高めてくれるものだっただろうか。

 残念ながら、とてもそうは思えない。

 選手の側からすれば、万が一にも本大会出場を逃すわけにはいかない、という強烈な重圧はあるだろう。見栄えなんかにこだわっていられない、という気持ちもわかる。だが、アジア予選程度の重圧で引っ込めてしまえるスタイルが、どうしてより激しさを増す本大会の舞台で貫けようか。

 伊東の先制点を生んだのは、大迫のポストプレーと南野のクロスだった。いい仕事だった。ただ、それだけだった。以前の彼らが見せていたクオリティーに比べれば、正直、お話にならないレベルだった。

 次の相手オマーンは、日本をここまで破壊した元凶でもある。鈍してしまった現況を打破するには、ある意味、最高の相手でもある。(金子達仁氏=スポーツライター)

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