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【コラム】金子達仁

女子サッカーが“滅びる”恐怖に打ち勝った

[ 2024年2月29日 12:00 ]

パリ五輪出場を決め、喜ぶ日本代表イレブン(撮影・小海途 良幹)
Photo By スポニチ

 苦しい、苦しすぎる90分とアディショナルタイム5分だった。

 前半を終えた段階で、日本の選手たちには余裕めいた感触があったはずだ。相手にほぼ攻撃の形を作らせず、終了直前の決定機にはGK山下が“山下の4ステップ”とでも言いたくなるような、素晴らしい足の運びでチームを救った。何より、自分たちには1点のリードがある。残り45分の見取り図は、かなり明確な形で共有されていたに違いない。

 後半立ち上がり、北朝鮮は激しく詰め寄ってきたが、これもまた想定はできていたはず。清水の素晴らしいアシストを藤野が頭でたたき込んだ時点で、わたし自身、これで勝負は決したと確信した。

 ところが、ここから修羅場が訪れた。

 クリアミスを拾われて1点を返されると、日本の選手たちは初めて、この試合を失うことの意味の重さに気付かされたようだった。13年前の世界一以来、長く伝統として引き継がれてきた自陣からつなぐサッカーは、込み上げる恐怖によってかき消された。普段であればつなげた、あるいはつなごうとしていた場面で、長谷川のような選手でさえもクリアを選択した。そこにあったのは、W杯ですら見たことのない、極限まで追い詰められたなでしこの姿だった。

 それだけに、この勝利の持つ意味は大きい。

 五輪本大会で戦うチームの中には、北朝鮮よりも大きく、速く、強いチームもあることだろう。だが、これほどまでに気持ちを、いや、殺気に近い迫力を滲(にじ)ませた相手がいるとは考えにくい。平均年齢が22歳に満たないという彼女たちの戦いぶりは、敵ながらあっぱれというしかないし、今後も間違いなく日本にとっての脅威となっていくだろう。

 この戦いを経験したことで、それも勝利という形で締めくくったことで、なでしこたちの経験値は跳ね上がった。負ければ日本の女子サッカーが滅びてしまうかもしれないとの恐怖を克服した彼女たちからすれば、敗北が必ずしも地獄を意味するわけではない五輪での戦いは、むしろ生ぬるく感じられるかもしれない。

 純粋にサッカーの1試合として見るならば、注文をつけたくなるところはいくつもある。失点以外にも最終ラインからのミスパスが散見されたこと、バタバタの展開になった時、チームを落ち着かせるリーダーが見当たらなかったこと、初戦よりは改善されていたとはいえ、攻撃の質量ともに物足りなかったこと――。本大会に向けて、改善すべきことは多い。

 だが、どんな不満も、この勝利の前ではかすむ。

 試合後、池田監督は「一番いい色のメダルを」とパリでの目標を口にした。試合内容だけでは測れないほど大きな手応えを、彼自身も感じていたということだろう。なでしこは修羅場を越えた。彼女たちは強くなる、とわたしも思う。

 最後に一つ、どうしても触れておきたいことがある。

 試合前、北朝鮮の選手たちがエスコートキッズたちに笑顔を見せていた。正直、かなり意外だったのだが、国歌斉唱の際に謎が解けた。

 子供たちは、北朝鮮の国歌を歌っていた。

 かつて日本代表が平壌で国歌を聞いた時、待ち受けていたのは凄(すさ)まじいブーイングだった。だが、今回日本サッカー協会は、北朝鮮のために在日の子供たちをエスコートキッズとして招待したということなのだろう。このアイデアを思いつき、かつ実行に移した人たちを、わたしは誇りに思う。(金子達仁氏=スポーツライター)

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