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【コラム】金子達仁

“超消極的”にお付き合い…前半をドブに捨ててしまった

[ 2022年11月29日 00:00 ]

FIFAワールドカップ(W杯)カタール大会1次リーグE組   日本0―1コスタリカ ( 2022年11月27日    A・ビン・アリ競技場 )

<日本・コスタリカ>後半、トラップミスからボールを失う鎌田(撮影・西海健太郎)
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 【W杯戦記】ドイツ戦の前もそうだったように、君が代を聞く森保監督の目は潤んでいた。目前に迫った戦いを楽観している者の姿ではなかった。監督はもちろん、日本の選手たちに油断はなかった。まったく、なかった。

 結果的に、それが敗因になった。

 ご存じの通り、コスタリカは初戦でスペインに0―7という惨敗を喫している。決勝トーナメント進出のため、この試合は死に物狂いで前に出てくるはず。そう考えるのが、一般的な日本人の思考形態のはずだ。

 だが、いざ試合が始まってもコスタリカは前に出てこなかった。前半の試合内容が呆(あき)れるほど低調なものになってしまったのも無理はない。本来、サッカーは勝ちたい者同士がぶつかりあうものだが、この試合の前半に関しては、点を取られたくない者同士が、腰の引けたジャブのつつきあいをしているだけだったからだ。

 日本人からすれば意外でしかなかったコスタリカの戦い方は、しかし、歴史をなぞったものだった。

 82年のW杯スペイン大会。初出場のエルサルバドルは1―10でハンガリーに敗れた。残る相手はベルギーとアルゼンチン。誰もがさらなる大量失点を予想したが、結果的に彼らの得失点差はあと3点悪化しただけだった。

 彼らは、勝って汚名をそそぐことより、さらなる恥をかかない戦い方――超消極的な戦い方を選んだのである。

 エルサルバドルとコスタリカは、ニカラグアを挟んで、ほんの200キロくらいしか離れていない近隣国である。使用する言語も、生活する民族も、ほとんど同じといっていい。日本人からすれば拍子抜けでしかないコスタリカの戦い方は、彼らからすると当然だったのかもしれない。

 森保監督も予想外の展開をただ傍観していたわけではない。前半の途中からシステムを入れ替え、まったりとした展開に活を入れようとはした。だが、おそらくは試合前に「油断をするな」という意識をたたき込まれてきた選手たちは、気持ちのスイッチを入れるまでには至らなかった。

 結局、点を取ること、勝ち点3をあげることが求められた試合で、日本は前半をドブに捨ててしまった。

 それでも、選手とやり方、さらには気持ちを一新させて臨んだ後半立ち上がり、日本は別人のような勢いで相手ゴールに襲いかかった。ただ、コスタリカからすれば十分に予想のできた攻勢でもあったのだろう。スペイン戦では非常に脆弱(ぜいじゃく)だった彼らの守りは、ある程度の余裕すら感じさせながら時間をつぶしていった。

 日本戦のあと、ドイツではGKノイアーを含めた守備陣の選手が手厳しい批判を浴びている。その例に倣えば、失点の直接的な原因をつくってしまった吉田の軽いプレーも批判されてしかるべきなのだろうが、わたしはむしろ、攻撃陣に苦言を呈したい。

 特に鎌田である。

 本人の言葉によれば、ドイツ戦での出来は「一生後悔する」レベルだったそうだが、だとしたら、この試合は未来永劫(えいごう)後悔しなければいけないレベルである。彼自身の調子が悪いのか、周囲との連係が上手(うま)くいっていないのか。とにかく、ここ数カ月で見たことがなかったほどに酷(ひど)い。

 だが、見方を変えれば、大黒柱として期待された鎌田が2試合ともダメだったにもかかわらず、日本は勝ち点3を確保している。このままでは終われない、との思いは、本人が一番強く抱いているはず。スペイン戦では、鎌田の復讐(ふくしゅう)に期待したい。するしかない。(金子達仁氏=スポーツライター)

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