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【コラム】金子達仁

メッシは母国の新たな「神」になれるか

[ 2022年12月15日 10:00 ]

FIFAワールドカップカタール大会準決勝   アルゼンチン3-0クロアチア ( 2022年12月13日    ルサイル競技場 )

<アルゼンチン・クロアチア>決勝進出を喜ぶメッシ(右)(撮影・小海途 良幹)
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 【W杯戦記】クリスティアーノ・ロナウドは史上最高のサッカー選手か。

 迷うことなく「イエス」と答える人がいれば、断じて「ノー」だという人もいるだろう。国籍、年齢、贔屓(ひいき)のチーム。答える側の背景によって、どう捉えるかは違ってくる。ただ、世界で最も多くの「イエス」が返ってくるのがポルトガルであろうことは、容易に想像がつく。

 リオネル・メッシは、史上最も不幸なスーパースターだった。
 世界で最も、彼を史上最高の選手だと認めない人が多いのは、おそらく、アルゼンチンだったからである。

 メッシが素晴らしい選手であることを認めないアルゼンチン人はいない。だが、彼らには「神」がいる。数字の10をDとSで挟んで「ディオス(神)」と読む彼らは、マラドーナ教という宗教に帰依している。

 欧州CLを制覇しようが、バロンドールを数えきれないほど獲得しようが、アルゼンチン人にとってのメッシは「人間」だった。史上最高ではなかった。

 「神」はブエノスアイレスの貧民街で育った。「彼」が腕を磨いたのはバルセロナだった。「神」は母国に世界一のタイトルをもたらした。「彼」はもたらしていない。「神」との違いを、物足りなさを、アルゼンチンの人たちは隠さなかった。古今東西、ほぼすべてのスーパースターは、自国で圧倒的人気を誇ってきたが、メッシだけは例外だった。

 もう少しメッシの才能が貧相なものであれば、アルゼンチン人の反応も違っていたかもしれない。誰も、背番号10を後継したオルテガやリケルメが「神」の領域に辿(たど)り着けるなどとは思っていなかった。ゆえに、彼らに向けられた批判の刃は、後にメッシが直面したほど鋭いものではなかった。

 だが、メッシには才能があった。「神」の存在がなければ、間違いなく「神」になっていたであろう存在だった。史上稀(まれ)に見る才能に恵まれ、驚異的な実績を残し、しかし、自分の生まれた国からは歴代のスーパースターほど愛されなかったのが、メッシという男だった。

 開幕戦で衝撃的な黒星を喫した段階で、わたしがまず思ったのは「やっぱり人は神にはなれないのか」ということだった。全盛期に比べれば明らかな下降線を描いているメッシに、全盛期にもできなかったことができるはずがない。そんなことまで考えた。

 だが、アルゼンチンを決勝まで導いたのは、クロアチアを粉砕できたのは、メッシの力があればこそ、だった。

 先制点となったPK。希代の技巧派が放ったのは、コースよりも勢いを重視したパワー・ショットだった。決める、というよりは薙(な)ぎ倒すことに主眼を置いた、まるでロベルト・カルロスが打つような一撃を、止められれば一気に流れを相手にもっていかれかねない場面で、メッシは放った。

 そしてクロアチアの闘争心を根絶やしにした3点目のアシスト。脇の下からねじ込んでいくような、若いころから得意としてきたドリブルによるアシスト。こんなことをW杯という大舞台でできるアルゼンチンの背番号10は、過去に1人しかいなかった。

 アルゼンチン人にとっての「神」は、W杯の優勝と準優勝を1回ずつ経験している。あと一つ勝てば、メッシはW杯の成績で「神」に並び、その他のほとんどの成績で超えることになる。

 決勝の相手はフランスか、モロッコか。22年12月18日、世界はアルゼンチンに新たな「神」が降臨するか、生ける伝説が絶望の淵に沈むか――そのいずれかを目撃することになる。(金子達仁氏=スポーツライター)

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