【コラム】金子達仁

五輪開催を叫び続ける政府 終戦間際のよう…

[ 2021年5月27日 15:30 ]

 女性蔑視とも取られる森さんの発言が問題になった時、当初、IOCは我関せず、の姿勢だった。態度を一変させたのは、欧米のメディアが取り上げたから――とわたしは見ている。

 だから、驚いた。

 バッハ会長の「我々はいくつかの犠牲を払わなければならない」という発言が多くの人を激怒させたのは当然だった。その数日前にはコーツ副会長による「答えはイエス」発言によって十分な下地は作られていた。仮に本人たちにそのつもりがなかったとしても、多くの人は、えも言われぬ尊大さを感じ取った。ここまで日本の世論を沸騰させた外国人の発言は、記憶にない。

 だが、森発言の際は日本の空気に無頓着だった彼らは、今回、素早く動いた。IOCの広報が「『我々』というのは五輪関係者であって、日本国民ではない」と釈明したのである。

 IOCが、日本の世論を無視できなくなってきた。

 ただ、「我々」に日本人は含まれない、というコメントがどうやら火消しとして発せられたらしいところに、わたしは、軽い目眩(めまい)を覚えた。この状況で五輪を強行開催しても、日本が犠牲を強いられることはない――IOCがそう考えているとも受け止められるからだ。

 五輪は4年に一度だが、高校総体などは、卒業してしまえば二度と経験することのできないイベントである。すでに昨年、多くの学生が一生に一度しかない「高校生活最後」の大会を奪われた。

 文化系のクラブ活動も、多くが発表の機会を失った。学生だけではない。音楽、演劇、映画、飲食――コロナの拡大を防ぐという大義名分のもと、多くの人たちが苦しい状況に追い込まれている。IOCの広報は、そんな人たちに向けていったのだ。それも、釈明のつもりで。

 犠牲を払うのは「我々」であって日本人ではない、と。

 IOCの変貌には驚く。彼らは日本の世論に敏感になった。開催国がすでに十分な犠牲を支払っていることに、依然として彼らが気付いていないことには、もっと驚く。

 何回か書いてきたが、わたしは、基本的に大会の再延期を望む人間である。五輪の開催は、日本にとって大きな財産となる。ただし、それは世界中から人々が集まるからこそ、であって、無観客でやる五輪には大きな意味を見いださないからだ。やるならば、「コロナに勝利した暁として」。その思いは、いまも変わらない。

 ただ、個人的な肌感覚としては、延期論でさえ、完全な中止を望む声にかき消されつつある、と感じる。五輪自体への嫌悪感が高まっている、といってもいい。

 24日、米国国務省は日本への渡航警戒レベルをレベル4に引き上げた。米国五輪・パラ委員会は東京五輪への影響を否定したが、米国からすれば、ここで東京五輪が中止になれば、ボイコットをチラつかせている北京五輪をも中止に追い込める、との読みもあるだろう。米国が日本を「世界で最も危険な国の一つ」に指定したことで、世界の見方も変わってくる。朝日新聞は、ついに社説で大会の中止を訴えた。

 いまのところ、IOCも日本政府も、鉄面皮に開催を叫び続けている。ひょっとしたら、わたしたちはいま、昭和20年8月14日の日本に近い状況を体験しているのかもしれない。

 それとも、本土決戦?(金子達仁氏=スポーツライター)

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