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【コラム】金子達仁

48年前のアステカに並ぶ「史上最高」カザンの激闘

[ 2018年7月2日 11:45 ]

ベルギー戦に向けて、調整する日本代表メンバー
Photo By ゲッティ イメージズ

プーチン大統領にはぜひともつぶやいていただきたい。彼がつぶやけば、それがこういう試合を象徴する言葉になる。かつて米国大統領が一番面白い試合について書いた一言がそうなったように。

 フランス対アルゼンチン。とてつもない試合だった。野球における「ルーズベルト・ゲーム」以上の、それこそ半世紀に一度起こるか起こらないかぐらいの、歴史的な激闘だった。

 82年の西ドイツ対オーストリアが「W杯史上最悪の試合」だとしたら、「史上最高の試合」と言われているのが70年大会準決勝のイタリア対西ドイツである。

 リアルタイムでこの試合を体験していないわたしにとっては、82年のイタリア対ブラジルがベストマッチなのだが、両方を見た方に言われたことがある。

 「3―2と4―3。どっちが劇的だと思う?」

 グウの音も出なかった。確かに、わたしがファルカンの同点弾に涙したエスタディオ・サリアでの死闘に、逆転は一度もなかった。イタリアが取り、ブラジルが追いつく。また取り、また追いつく。そして最後、パオロ・ロッシが決勝ゴールをたたき込む――。

 だが、巨大なアステカで演じられた伝説の死闘は違った。イタリアが取り、西ドイツがアディショナルタイムに追いつく。延長に入り、西ドイツが逆転。今度はイタリアが追いつき、再び逆転。ところが西ドイツはまたまた追いつき、そして最後、ジャンニ・リベラの1発に沈むのだ。先日、NHKでも再放送されていたが、結果と展開を知っていてもなお、胸が締めつけられるような戦いだった。

 もっとも、18年6月30日のフランス対アルゼンチンを見てしまったいまでは、48年前の試合を無条件で「史上最高」と認めるわけにはいかなくなった。なにしろ、スコアは同じ4―3だったものの、今回の試合にはアステカになかったものがちりばめられていたからである。

 一つは、あまりにも美しいゴール。ディマリアのミドル、パバールのボレーは、それだけで語り種(ぐさ)になるほどに素晴らしかった。劇的ではあったものの、お世辞にも美しいとは言えなかったシュネリンガーやゲルト・ミュラーのゴールとは比べ物にならないほどに。

 そしてもう一つは、歴史的な意味である。イタリア対西ドイツは、素晴らしい試合ではあったものの、しかし、それだけだった。翻って、フランス対アルゼンチンは後のファンから「一人のスーパースターの時代が終わり、新たな時代が始まった日」として記憶されることになるかもしれない。

 メッシからエムバペへ、である。この試合の数時間後、クリロナが大会を去ったことで、その印象はさらに強いものとなった。

 わたしの知る限り、スターからスターへのバトンタッチが同じフィールドの上で行われたことはない。クライフの出現はペレの4年後、マラドーナの出現はクライフの8年後だった。数々の史上初を生んできた今大会は、またしても新たな歴史を刻んだ。

 そしておそらく、まだ余白は残されている。

 次に新たなページをしるすのが、願わくばベルギーと戦う日本であらんことを。(金子達仁氏=スポーツライター)

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