一青窈 デビュー曲「もらい泣き」の歌詞ができたのは「画家の友達」と「インド料理屋の店長」のおかげ

[ 2022年10月28日 13:49 ]

歌手の一青窈
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 歌手の一青窈(46)が27日放送のNHK「SONGS」(木曜後10・00)に出演。デビュー曲「もらい泣き」の歌詞ができた経緯を語った。

 台湾人の父、日本人の母のもと、台湾で生まれ育った一青は「日本の教育を受けさせたい」という父の願いで6歳から日本に移住。台湾に残った父と離ればなれの生活になったことから、父親への手紙を書いていたことが詞を書くきっかけになったという。

 そして小学2年時に父がガンで他界。高校生の頃には母も死去し、自分の思いや感情を歌詞として届けるようになったとし「書くことで自分の気持ちを整理する。ちょっと写経に近い。歌った方が恥ずかしくないじゃないですか。“ごめんね”って言うより、“ごめんなさいね~”って歌った方がなんかちょっと。それこそ、“会いたい”も“愛してる”もそう」と歌った方が感情を表現しやすいと語った。

 その上で2002年に発表したデビュー曲「もらい泣き」の歌詞ができた経緯を紹介。「画家の友達から『段ボールの中から出れない』って、メールが届いたんですよ。これ大変だと思って『段ボールの中、ヒキコモりっきり あのねでもね、ただ…訊いてキイテキイテ』は、なんか出たいんだけど、本当の理由は教えてくれない。でも出られないからSOSを私に言う。なんか悲しくなってもらい泣きした」と独特な表現は友人からのメールがきっかけだったとした。

 そして「自分も恋愛で失恋した時に友達がただそばにいてくれて、一緒に泣いてくれるとスッキリしたな、みたいなのを含めて歌詞を書きました」と回想。「失恋した時に中目黒の目黒銀座で泣きながらたたずんでたら、向かいにインド料理屋があって、そこの店長がナンを焼いて無言で渡してくれたんですよ。それにもらい泣いちゃって、こんな優しい人いるんだって。ガレージの前でたたずんで、シクシクシクシク友達来てくれるの待ってたら、無言でナンを」とインド料理屋の店長の優しさに“もらい泣き”したこともきっかけだったと振り返った。

 一青は「このインド料理屋さん、今ないんですけど、銀紙にちゃんと包んで、その時のナンが美味しかったこと」と懐かしそうに笑っていた。

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