円楽さんしのぶ会 好楽「“あとからゆっくり逝くからなー”と伝えました」

[ 2022年10月28日 15:00 ]

<「五代目園楽一門会」六代目を偲ぶ会>六代目円楽の遺影を囲んで故人を偲ぶ(左から、全て三遊亭)竜楽、楽生、楽麻呂、鳳楽、好楽、円橘(撮影・篠原岳夫)
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 日本テレビ「笑点」の大喜利メンバーとして活躍し、9月30日に肺がんのため72歳で他界した落語家の六代目三遊亭円楽さんをしのぶ会が28日、東京都千代田区の国立演芸場で行われた。もともと「五代目円楽一門会」として28~30日まで予定され、当初28日は「六代目を囲む会」として円楽さんが出演予定だった。タイトルを「六代目を偲(しの)ぶ会」に変更し、三遊亭鳳楽、三遊亭好楽、三遊亭円橘らが座談会を行うなど思い出を語り、好楽がトリを務めた。

 好楽は座談で「一緒に戦って、飲んで、ゴルフをした仲間。最後の演芸場での高座は痛々しい顔をしていたが、亡くなってから会いに行ったらいつも一緒に遊んでた顔に戻ってた。むこうには5代目もいるし、賑やかだと思う。『あとからゆっくり逝くからなー』と伝えました」としのんだ。

 円楽さんは4歳年下の“弟分”。師匠は同じ五代目三遊亭円楽で、兄弟弟子にあたる。お茶の間には「笑点」の共演で広く知られるが、芸の上でも切磋琢磨(せっさたくま)した間柄だ。

 落語協会を飛び出した五代目円楽が大日本落語すみれ会(のちの円楽一門会)を結成。1985年、東京都江東区東陽町に自前の寄席「若竹」を開いた。出演する演者が足りず、師匠の命令で強制的に、楽太郎時代の円楽さん、好楽、鳳楽、円橘の4人が月に3回ずつ独演会を開かされた。互いが小屋代(使用料)6万円を払いながら、「みんなお客さんを集めるのが精いっぱい。負けてなるものかと思いました」。落語協会から聞こえてくる風の噂は「あんな寄席つくりやがって。おまけに弟子から上納金まで取ってやがる」。「すみれ会」という小所帯で、共に戦う円楽さんは、好楽の同志でもあり、戦友でもあった。

 二つ目時代、仲が良い落語家が集まって草野球チームを結成した。チーム名は落語の「寿限無」にちなんで「ジュゲムズ」。メンバーの中に楽太郎時代の円楽さんもいた。試合が終わると好楽が住んでいた練馬区内の都営アパートで酒盛りをするのが恒例。多いときは20人がひしめくように狭い部屋に集まった。ここで円楽さんが台所に立ち、カレーを振る舞ったという。酒盛りのあと泊まっていくこともしばしばで、本当の兄弟のような付き合いだった。

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