弦哲也氏、音楽生活を凝縮した55周年記念アルバム 旅立った盟友の思いを受け継ぐ

[ 2020年4月25日 05:30 ]

作曲をする弦哲也氏。72歳「体力がある限り作り続けたい」と話す
Photo By 提供写真

 日本作曲家協会の会長でもある人気作曲家・弦哲也氏(72)の音楽生活55周年記念アルバム「旅のあとさき」が29日に発売される。歌手から作曲家との「二刀流」を経て、平成を代表する作曲家となった同氏の歩みが凝縮されている。親交のある北島三郎(83)、都はるみ(72)が本紙を通じて祝福のコメントを寄せた。

 歌手を目指して14歳の時に、千葉・銚子からギター一本を抱えて上京した弦氏。作曲家・大沢浄二氏(95)の下で内弟子生活4年を経て「田村進二」として歌手デビューしたのが1965年8月5日。元々は三橋美智也さん、春日八郎さん、村田英雄さんらに憧れて歌手を志したのに、東芝レコードからのデビュー曲は「好き好き君が好き」というリズム歌謡だった。

 当然、苦戦が続いた。「弦哲也」と改名した3年後、前座歌手として北島三郎の公演旅行に同行した。移動の汽車の中、北島に「歌手も男のロマンかもしれないが、作曲という道もある。俺だって作っている」と即興で名もない歌をギターの弾き語りで歌ってもらったことが作曲家への転機となった。

 「思えばずっと旅してきた。人と出会って心にとまった思いを歌にしてきた」と、書き下ろしの新曲4曲を含む12曲を自ら歌った記念アルバムの意図を語る。苦節の末に、76年に棋士の内藤国雄に書いた「おゆき」が最初のヒットを記録。続いて川中美幸(64)の「ふたり酒」(80年)と時代を代表する作品が生まれた。それから現在に至るまで2500曲も生んできた。

 人柄と同じで、優しく、親しみやすいが品のあるのが弦メロディーの神髄。中でも思い入れが深い作品が、故石原裕次郎さんに書いた「北の旅人」と、作曲家専念の決意を固めた「天城越え」の2作。今回のアルバムに入れた。「30年たっても支持されることはうれしい。ただ、一緒に作った作家やプロデューサーはみんな旅立ってしまった」と唇をかむ。さらに最近、盟友の編曲家・前田俊明氏(享年70)、作詞家で放送作家・あかぎてるや氏(享年81)と仲間を相次いで亡くした。「みんな旅立ったが、彼らの思いや情熱が作品の中に生命をともしている。そういうものを受け継いで、体力がある限り、一曲でも作り続けたい」と誓う。ヒットメーカーの系譜を受け継ぐ旅は続く。

 《父子共演も実現》アルバムの中でミュージシャンの長男・田村武也(49)と親子共演を果たしている。武也が作詞した「演歌(エレジー)」に弦氏が曲を付けたもの。「俺のギター」という言葉を繰り返し、弦氏の半生を表現している。「彼から見た親父像なんでしょう」と納得している。

 ▼北島三郎 歌い手だった彼と公演先で、空いた時間に曲を作ったりした。ギターもうまかったし、センスもあると思ったから「作曲家が向いているんじゃないか?」と話したんだ。しばらくして再会した時には立派な作曲家になっていた。今では「北島ファミリー」も良い楽曲を頂いて大変お世話になっているよ(笑い)。完成のないこの道では弦哲也も北島三郎もまだ旅の途中。55周年おめでとう。心に染みるメロディーを生み出してください。

 ▼都はるみ(同学年で、公私ともに親交がある)出会いは、36歳の時でした。弦さんとも、奥さまとも、思い出がいっぱいです。これからも、いろんな音に挑戦してくださいね。

 ◆弦 哲也(げん・てつや、本名田村正稔=たむら・まさとし)。1947年(昭22)9月25日生まれ、千葉県出身の72歳。14歳で上京。68年に弦哲也に改名。76年に作曲家デビューし、86年から作曲家に専念。2017年から日本作曲家協会会長を務める。

続きを表示

この記事のフォト

2020年4月25日のニュース