プロデューサー酒井政利氏 千家さん悼む「独特のきらめき」

[ 2019年6月27日 05:30 ]

作詞家・千家和也さん死去

酒井政利氏
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 山口百恵さんのプロデューサーとして、千家さんと仕事をした酒井政利氏はスポニチ本紙の取材に「地味な印象の方だが、詞に込めるひと言、ひと言に独特のきらめきがあった」と惜しんだ。

 出会いは百恵さんの73年のデビュー曲「としごろ」だった。「千家さんは当時、気鋭の作詞家。デビューにあたり“詞に独特なカラーがほしい”と起用された」と振り返る。

 際どい歌詞とは対照的に「大変に仕事に真面目な方」といい「何かテーマを依頼すれば2、3編の詞を持ってきてくれたし、こちらが指摘したことを的確に反映してくれる」と全幅の信頼をおいた。交流はレコーディングのみ。「話してみると面白くて活発だが、あまり仕事以外で人と交流するタイプではなかったのでは」と話す。

 「転居されてからは没交渉で、気にかけていた。才能のある方だった」と悼んだ。

 ▼宮路オサム(殿さまキングスの「なみだの操」で提供を受けた)「なみだの操」はコンサートでお客さんと一緒に大合唱できる歌。この歌がなかったら殿さまキングスも今の宮路オサムもいなかった。昨年、千家さんに「先生のおかげで今も歌い手として歌えています」と感謝の電話をしたら「その言葉、そのまま返す」と言われたことはずっと忘れません。

 ▼前川清(内山田洋とクール・ファイブ「そして、神戸」)まだお若いのに、急なことで驚いています。昭和のよき時代の先生方が亡くなられることは本当に寂しく、残念です。詞の世界は歌い手にとって大切なもの。もう一度、先生の詞で歌いたかったです。

 ▼由紀さおり(歌手)先生に書いていただいた「挽歌」は大好きな一曲で、今でも大切に歌っています。当時クリスマスディナーショーが華やかなりし頃で、全国各地のホテルでショーをやっていました。挽歌がヒットし、伊豆の大仁ホテルでのショーに先生が駆けつけて、大きなお花をくださったこと今でも覚えております。あの時のやさしい笑顔は忘れられません。

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2019年6月27日のニュース