「大いなる励みをありがとう」 阪神の名三塁手、三宅秀史氏をしのぶ「ラスト三宅会」開催

[ 2022年12月13日 18:30 ]

故・三宅秀史氏を偲ぶ「ラスト三宅会」で思い出を語る吉田義男氏(13日、甲子園のやっこ旅館)
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 阪神往年の名三塁手で昨年3月に他界した三宅秀史氏(当時86歳)をしのぶ会が13日、西宮市のやっこ旅館で開かれ、生前交流のあった33人が別れを惜しんだ。全国の三宅氏のファンの集い「三宅会」が主催。各地で交流会を開いていた同会が「ラスト三宅会」と銘打って集まった。

 現役時代、三宅氏と三遊間コンビを組んだ吉田義男氏(89)は「同期入団の戦友でした。思い出話は尽きない。引退後も交友が続いていたのは幸せでした」と話した。

 知人を通じて招待を受けた阪神・筒井壮外野守備走塁コーチ(48)は「岡田監督から猛打が脚光を浴びる1985年だが、守備力の高さが土台にあってこその優勝だったと聞いています。三宅さん、吉田さんのような守備力を備えるようにして“アレ”を目指したい」と話し、喝采を浴びた。

 今秋就任した岡田彰布監督(65)が現役時代背負った背番号「16」は三宅氏へのあこがれからきていた逸話は有名だ。

 同会世話人の坂口嘉一さんは「三宅さんは、縁起のいいとされる“3”がまとわりつく生涯でした」と紹介。命日は令和3年3月3日。三塁手で3番打者。名前にも「三」があり、この日の出席者は33人……。好天に恵まれた青空に「あの世で喜ばれていることでしょう」と開会のあいさつを行った。

 会員は、三宅氏の生まれ故郷、岡山県倉敷市の旧友の子息、現役時代に差し入れをしていた往年の女子高生、東京での定宿、清水旅館で知り合い、球場往復のバスに乗せてもらった少年、晩年を過ごした三重県鈴鹿市で夕食をともにしていた家族……など一般の人びと。人との交流を大切にする三宅氏の人柄がしのばれた。

 コロナ禍とあって、昨年3月の他界後、告別式などは近親者のみで行われ、その後も会合は控えてきた。しのぶ会の開催を望んでいた会員にとっては待望の会合だった。

 三宅氏は現役時代、当時プロ野球記録の882試合連続出場と700試合連続全イニング出場を続けていた。いわば元祖鉄人だった。だが1962(昭和37)年9月6日、川崎球場での試合前、ボールが左眼に当たり、虹彩分離の重傷を負った。記録は止まり、事実上、野球生命を絶たれた。

 2002年、持病の慢性肝炎が悪化し「余命半年」と宣告を受けた。翌03年、孫から生体肝移植を受け、命をつないだ。

 会場には「大いなる励みをありがとう」と三重県尾鷲市の応援団「鷲虎会」がつくった横断幕が張られていた。(内田 雅也)

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